「これから」美術に何ができるか 国立国際美術館「風穴」再訪

 昨日は震災後、初めて美術館に行きました。国立国際美術館で開催中の「風穴」という展覧会で、見るのはこれが二度目。最初は震災前に見に行き、今回は震災後に急遽展示が決まった作品を見に行くために訪れました。


「風穴」6月5日まで http://www.nmao.go.jp/exhibition/index.html


 震災後に展示されたのは島袋道浩さんの《人間性回復のチャンス》という作品です。この作品は神戸の大震災のときに作られた作品で、半壊状態だった友人の家の屋根に「人間性回復のチャンス」と書かれた看板を掲げたものです。この家は電車の線路のすぐ脇に建っていたので、その電車に乗る人は誰もがみな、オリジナルの作品を目にできる状態にありました。今回展示されていたのはその写真で、使い捨てカメラで撮られたのでしょうか、写真の隅にはデジタルの日付表示が刻印されています。その日付は1995年3月11日になっていました。


人間性回復のチャンス》 http://www.shimabuku.net/suma.html


 震災の発生した1月17日でもなく、その一カ月後の2月17日でもなく、二カ月後の3月17日でもない。震災直後のすばやい行動というのでも、何らかのメモリアルな日付というのでもない、特に特権的ではない日付だっただろう3月11日という日付が、いまでは大きな意味を持ってしまった。つくづく美術作品というのは、後代に意味を変えていくものなんだなと思います。


 美術作品というものについて考えていると、しばしばこの「時間」というものの奇妙さに突き当たります。美術は基本的には静止した表現で、時間をどこかでスパッと切ったり止めたり、圧縮したりしたようなものになる。ところがそれが表現として認められると、何百年も何千年も保存される。たとえばいま神戸で展示されているギリシャ彫刻の《円盤投げ》は2500年前の作品です。江戸時代の画家の伊藤若冲は「自分の作品の真価がわかるのは千年後だ」と語ったと言われていますが、これは冗談でも誇張でもなく、美術というのはそういうものです。


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 逆に時間芸術である歌や音楽には、美術にはない瞬発力がある。震災後、ネット上ではいとうせいこうさんが「文字DJ」なる試みをやっていましたし、テレビのCMなどでも歌番組が組まれたりして、多くの人が「歌」を通じて感情や思いを伝えあう光景が多く見られました。最近ではアコーディオン奏者のCOBAさんや、やはりアコーディオンを使うお笑い芸人の「おしどり」のお二人が被災地を回っておられるそうですが、神戸のときもソウルフラワーユニオンのみなさんが、盛んに被災地を回っていた。これもまた音楽の持つ瞬発力かと思います。


おしどり http://oshidori.laff.jp/


 歌や音楽には危機の際に即効性を発揮する瞬発力のようなものがあるらしい。けれども美術にはそうした瞬発力のようなものは、どうも乏しいような気がする。むしろ危機が去った際に、あの危機は何だったのかと改めて問いかけ、思い起こさせるメモリアルな力がある。自分の周りでは「いま美術作家に何ができるか」という議論が一時期盛んで、チャリティーなどの試みも、いっとき盛んに行われていたのですが、こと美術に関する限り、そんなに急いで「いまできること」を考える必要はないのじゃないか、という気がしています。


 美術作品は「残ること、残すこと」を目標に作られるもので、逆にいえばどれだけ当意即妙な作品を作っても、百年後には意味をなさなくなる。むしろ美術が得意なのは、被災地の記録を残したり、そこにある何かを保存したりすることかもしれません。あるいは通常の美術の概念を捨てて、被災地の復旧に汗を流したり、原発関係の署名やデモに参加するといった、ヨーゼフ・ボイス流の「社会彫刻」的なアプローチを取るか。あるいは自分の通常の作風を継続するなかで、そこに何らかの無意識の変化が訪れるのをじっと待つか。


ヨーゼフ・ボイス http://bit.ly/jMs3l8


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 この震災で出た瓦礫は、撤去するだけでも数年かかるそうですし、仮設住宅の土地の手当も済んでおらず、避難所暮らしはまだまだ長引きそうです。また原発関係の対応も、当初言われていたほど短期間には済みそうもない。課題は山積みで、簡単には終わってくれない。もしこの震災について何かをなしたいと思う美術作家がいるとするなら、その人がやるべきことは数年スパンで存在するし、ひょっとするともっと長い取り組みが必要になるかもしれない。それは「いま何ができるか」という近視眼的な問いとは逆の、長い時間軸が必要になる。


 「風穴」展にはやはり島袋さんの《カメ先生》という作品も出品されていて、会場ではカメ先生と遊ぶことができます。先生はひどくのろのろ歩いていて、お世辞にも瞬発力に富むとは言い難い。昨日は私の脚の上に乗っかってきて、結構重いなあと思いながら遊んでいました。ともあれ、いま震災について何か思う作家の方は、是非「風穴」展に出かけてみてください。カメ先生はきっと何かを教えてくれると思います。