日展の不正について

日展書道「篆刻」、入選を事前配分 有力会派で独占
2013年10月30日05時41分、朝日新聞デジタル
【沢伸也、田内康介】日本美術界で権威のある日展の「書」で、有力会派に入選数を事前に割り振る不正が行われたことが朝日新聞の調べで分かった。毎年1万人以上が応募する国内最大の公募美術展への信頼が揺らぐのは必至だ。(略)


 日展の不正が話題になっていますが、実を言うとあの種の話は、美術の周辺にいる人なら誰でも知っている話です。あの手の話は何十年も前から公然の秘密で、日展に限らずどこの公募団体も似たような状態にあります。今回表沙汰になったのは書の分野ですが、他の分野でも似たようなものです。とはいえ、こうしたことは狭いアートクラスタの中での「常識」に過ぎないとも思うので、いちおう下記に大まかな解説をしておきます。


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 日展をはじめとする公募団体展というのは、広く出品者を募って出品料を取り、いちおうの水準に達していれば出品できる仕組みです。こう言っては何ですが、いわばワリカンで美術館を借りて発表しているわけですね。その内情は既に報道されている通りで、特に付け足すべきことはありません。こうした公募展の腐敗や硬直化は、既に何十年も前から知られていて、心ある作家やアート関係者は、とっくの昔に団体展など見限っていました。単なる田舎の小中学生に過ぎなかった70年代の私でさえ、その手の話は美術雑誌で読んで知ってたくらいです(興味のある人は大昔の『芸術新潮』などを調べてみてください)。


 なぜこうなったのか。先述した通り公募団体展は作家の集団なので、作品の評価はその内部で行われる。外部の批評家やコレクターの視点がそこには入らないのです。こうした閉鎖的な集団の中で内輪の評価が繰り返されれば、いつかこうした徒弟制に近い状態になるのは仕方のないことでしょう。こうした団体展への出品を嫌って、業界の権威とは何の関係もない、街の貸画廊への出品を選ぶ学生が増え始めたのは、80年代頃の話です。


 業界の「偉い先生」が認めてくれない大胆な作品をガンガン作り、自分でおカネを払って発表しよう。おカネが足りなければグループを組んで何人かで借りよう。80年代の貸しギャラリーは、そうした熱気であふれていました。が、しかし、自分でおカネを払って出品するという意味では、昔の団体展と変わりません。実を言えば多くの公募団体展もまた、自分より上の世代の価値観にそぐわない作品を世に出すために、新しい団体を立ち上げてきた経緯があります。その意味で80年代の貸画廊ブームは、公募団体展の構図を根本から打ち崩すものではなかったと言えます。


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 そうした傾向が一変し始めるのは、森村泰昌さんの登場あたりからです。森村さんもまた初期の頃には貸画廊で発表していたのですが、80年代の末頃に、ベネチアビエンナーレという国際展に選抜された。そこで森村さんの作品は世界中の美術関係者に認知されるようになり、あれよあれよという間に世界じゅうで作品が売れるようになっていったのです。こうした森村さんの成功を見て日本の美術界の人々が驚いたのは「作家がおカネを払って展覧会をするシステム」が、実は日本特有のものだったということでした。


 海外で一般的なシステムだと、ギャラリー側は無償で会場を用意するので、作家側の負担は一銭もありません。案内状を出すのもタダ、初日のパーティーの費用もタダ。その替わり会場でコレクターに作品を売って、その売上をギャラリストと作家で折半する。つまりこの場合、作品の善し悪しを決めるのは上の世代の「偉い先生」でなく、お客さんであるコレクターが決めるわけですね。


 で、購入の際にはお客さんも、外部の批評や美術館での展示経験などを参照する。公募団体の場合だと内輪で優劣を決めますが、商業ギャラリーで評価を決めるのはコレクターや批評家、美術館関係者などの「外部の視線」で、こうした人々のゆるやかな合意形成によって価格が決まる。ここが決定的に違うんですね。そんなわけで海外では一般的な、現代美術専門の商業ギャラリーが立ち上がり始めたのが90年代ごろの話です。


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 これ以降、現代美術のスターは団体展からではなく、こうした商業ギャラリーから主に出るようになった。こうしたギャラリーのオーナーは各地の学校の卒展を見て回り、有望な作家をスカウトします。スカウトされるとそこの所属ということになり、原則的に個展はそこで行うようになります。また、ギャラリーは各種のフェアや国際展、美術館、メディアなどとの折衝を作家に替わって行います。いわば芸能プロダクションみたいなものですね。


 このシステムはいわば世界標準の仕組みなので、誰から見てもわかりやすい。しかも以前に比べれば公平で、革新的な表現が出やすい状況になりました。そんなわけでいまの日本の美術界からは、かなりの数の世界的スターが生まれています。村上隆さんや草間彌生さんなどはその筆頭でしょうが、ほかにも世界的に知名度の高い美術作家は日本にたくさんいます。いずれも基本的に公募団体展とは関係のない作家ばかりで、しばしば「公募団体展は終わった」と言われる背景には、そうした一連の事情があるわけです。


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 現在、公募団体展に応募しているのは、こうした商業ギャラリーにスカウトされなかった、いわばアマチュア作家がほとんどです。朝日新聞はわざわざそのアマチュア団体を、一面を使って批判しているわけです。プロのコンペで不正があったら糾弾すべきでしょうが、アマチュアのいわば親睦団体の内部のいざこざを、わざわざ新聞の一面で糾弾するというのも何だかな、という気がします。しかも何十年も前から知られている話がどうして今さら「ニュース」になるのか、ちょっと理解し難い印象を受けますね。


 ただし団体展にもそれなりの役割はあります。一部の美術館では展示室の一部を公募団体展に貸し出して運営費を捻出していますし、そうした団体展に辛抱強く出し続けるうちに、幸運にもギャラリストにスカウトされる例もあります(貸画廊も同様で、私自身も貸画廊で作家を発掘することはあります)。このほか公募団体展には、地方に美術を根付かせてきた功績があります。実を言えば私も最初に美術に触れたのは団体展を通じてでした。作品を売買して運営される商業ギャラリーが成立しにくい地方都市に、公募団体に替わって現代美術を根付かせていくにはどうすればいいかというのは、今後も考えていかなくてはならない課題だと思います。このニュースについて私が言いたいのは、大体そんなところです。