「中日新聞「あいちトリエンナーレ2013」記者座談会」について

中日新聞「あいちトリエンナーレ2013」記者座談会に対する芸術監督五十嵐太郎氏の連投」
http://togetter.com/li/583137


 「中日新聞「あいちトリエンナーレ2013」記者座談会」、その酷評ぶりには本当に戸惑います。今年の「あいち」は私がこれまで見た日本国内開催の国際展の中では、正直申し上げてベストでした。ご覧になった方はご承知と思いますが、同展は原発と震災を真正面からテーマに据えた、非常にメッセージ性の強いものでした。これだけ社会的なテーマに対して、真っ向から大規模に真摯に問うた展覧会を、私は寡聞にして知りません。周囲の評価も非常に高かったのですが、どうしてこんな座談会になってしまったのか、正直理解に苦しみます。


 座談会の記事はそれぞれの記者が矛盾することを言いたい放題放言していて、トリエンナーレに何を求めているのかよくわかりません。が、気になるのは「祝祭性に欠ける」とか「暗い」とか「重い」とか、単に自分の好みで論難するような放言です。むしろこれだけ重いテーマで60万人以上を動員したことをなぜ評価できないのでしょうか。これを評価できないというのなら、芸術家は社会問題に対しては黙っていろと言っているに等しいように思います。


 また、この記事では震災や原発といったテーマを、なぜ名古屋でやるのか、と疑問を呈しています。けれども、むしろ「なぜ名古屋以外の他の諸都市では、震災や原発というテーマで展覧会をやらないのか」、と問うべきではないでしょうか。日本全国どこの都市でも、地震はいつ来てもおかしくない状態にありますし、沖縄以外の都市はずっと原発の電気に依存してきました。したがってこの展覧会は、日本のどこでやってもおかしくないテーマだと私は思います。そうしたことを考えると、むしろ名古屋というノーマークの場所、被災地でもなく首都圏でもない場所でやったことにこそ、評価されるべき点があるとは言えないでしょうか。


 既に企画者の五十嵐太郎さんからは、中日の記事に対する激しい反論が寄せられていますが、私もまったく同感です。例の日展の記事といい、このあいちトリエンナーレの記事といい、なんだかとても残念な記事だなと思っています。