MOTコレクション特別企画 クロニクル1995−

★見えない「阪神大震災」の姿
 都現美の「MOTコレクション特別企画 クロニクル1995−」、通称「95年展」に関して思ったことを少し。まず震災がらみの作品の少なさに、かなりの衝撃を受けた。わずかな例外として芦田昌憲さんというアマチュア写真家の方の震災の写真、これは企画者の薮前知子さん(@ton0415)によると「写真美術館の95年の公募展に出されたものをお借りした」らしいのだけど、それと島袋道浩さんの《人間性回復のチャンス》という作品(これは非常に強烈な作品で、当時関西ではかなり物議を醸した)が展示されてはいたものの、とにかく数が少ないのに驚かされた。


 実は95年の神戸の震災に関しては、写真家の宮本隆司さんと建築家の宮本佳明さんが共同で、ズバリ震災をテーマにした作品でベネチアビエンナーレ建築展に出品してて、この展示は金獅子賞を獲っている。また、震災から10年後のことになるが、写真家の米田知子さんは被災した阪神間の空き地、つまり被災して崩れた建物のあとを撮っている。このほか美術作家の中原浩大さんは「これは美術作品ではない」「中原浩大の作品ではない」と断った上で、子どもたちの緊急避難のためのシェルターを作るプロジェクト「カメパオ」を展開している。


 このほか視界を広げれば、ヤノベケンジさんは95年以降にかなり大きく作風を転換させていて、子どもというテーマが前面に出てくるようになった。これはそれ以前の彼の作品が、まさに震災やサリンといった社会の激震を先取りしていたものだったため。やはり美術作家の西山美なコさんも、それまでの毒々しいピンクを駆使した作品から、非常に静謐な作風へと転換している。彼女によると、以前の作品が震災を経て「まるでゴミのようにしか見えなくなった」からだという。


 こうやって振り返ると、この時期の関西の作家、あるいは関西を舞台に制作された作品には、少なからず震災の経験を踏まえたものがあるのだが、こうして都現美の収蔵品で当時を振り返ると、まったく神戸の震災というものは見えていなかったのだな、と思う。あくまで都の美術館なのだから、関西の出来事が遠く見えてしまうのは致し方ないことだと思うけど、やはり神戸の人間としては寂しいしショックだった。それと同時に、あたかも震災がなかったかのように見せてしまう、コレクションというものの「負の力」も思い知った。


※補足。薮前さんとしてはこうした構図を炙りだすために、コレクション展であるにも関わらず、あえて芦田昌憲さんの作品を借りて展示したのだという。その狙いは見事に当たっている。少なくとも私はかなりのショックを受けた。


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オウム事件の影の不在
 95年には地下鉄サリン事件に始まる一連の「オウム事件」が、震災の数カ月後の東京を中心に起こっているが、こちらを反映した作品になると、同展ではまったく展示がない。震災とサリン事件のない95年というのは、当時を知る人間としては異様なものに思えてしまうが、ともあれこれが都現美のコレクションの現実なのだから仕方がない。そうした「不在」を見せる展示としては、むしろ非常に成功したと言えるかもしれない。


 当時オウム事件の影響をもっとも鋭敏に受けたのは、直前まで美術作家として活動していた飴屋法水さんがいる。飴屋さんはこの事件以降完全に表現活動を停止して、ペットショップに転業してしまった(のち復帰)。私はこの「沈黙」こそが、当時の事件を抉るもっとも鋭い「作品」だったと考えているが、沈黙を収蔵することはできないのだから仕方がない。


 また、オウム事件への応答としては、建築評論家の中谷礼仁さんによる、一連のサティアン論という仕事があった。サティアンというのはオウム真理教の宗教施設だが、まったく宗教性を感じさせないプレハブ小屋で、これを建築という観点からとらえ直す仕事だった。ちなみに震災後に建った仮設住宅もプレハブ小屋で、ある意味プレハブ建築というのは95年を象徴する建築様式だったと言えるかもしれない。が、これもまた批評であって収蔵できないし、サティアンを収蔵することはできない(やってできないことはないだろうが、効率館には常識的に許されないだろう)。いずれもコレクションというものの限界を物語る事例として記憶に留めたい。


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★「郊外化論」からゴシックへ
 都現美の展示はごくわずかな震災関連の作品を展示したあと、すぐさま「郊外化」をテーマにしたホンマタカシ都築響一らの作品へと向かう。震災とオウム事件という二つの巨大な事件がありながら、美術の関心はすぐに「郊外化」に向かったのか、というところに愕然とした。実際には上記のようにいろんな応答が美術作家からは出ていたのだけれど、それが収蔵に反映されていないのだ。


 郊外化に関していうと、97年に神戸で凄惨な少年犯罪事件があり、その舞台がニュータウンだった。この事件は個人的には震災、オウムと並んで非常に重い事件として心に残っている。この事件をめぐっては、週刊誌で社会学者の宮台信司さんがニュータウン批判を展開し、私も数年後この事件を振り返る共著に寄稿するため、幾度も現場に通うことになった。実際に行ってみると、もはやニュータウンというよりジャングルのような、森と沼地ばかりの場所だった。


 そうした自分自身の取材の経験から、あの事件はニュータウンが引き起こした犯罪というよりも、むしろ美術教育の敗北が引き起こした事件だったのではないかと、私は考えるようになっていった。というのも加害者の少年は事件の前、さかんに猟奇的なオブジェを作ってシグナルを発していたからだ。だが学校では「こういうものは作るな」と、きわめて抑圧的な指導をしていた。もしそのとき美術の教師に理解があり、加害少年がある種のカタルシスを作品制作から得ていれば、あんな悲劇は起きなかったのではないかという思いはいまも強い。


 郊外化論の原点となったあの事件は、まるでジャングルのようなスーパーサバーブで起こった。しかも郊外というものは、最初は新開地であったとしても、いつかはその場所独自の地霊を持ち、記憶を持つことを私はあの事件から学んだ。その意味で郊外を悪玉とするのも善玉とするのも、いささか性急な議論のように私には思えた。あの事件に抗していくには「アンチ郊外」を唱えるのではなく、制作や鑑賞を通じて暴力衝動へのカタルシスを得られるような作品の方が有効だと私は思った。だが、あの事件を扱った美術作品は、当時全然見当たらなかった。震災、オウム、少年犯罪。そうした生々しい傷と怒りの表現を、もっと直裁にぶつけた作品がなぜないのかと私は思った。このあたり、のちに私がゴシックなものへと惹かれていく伏線につながっている。


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★90年代とサブカルチャー

 90年代、自分は会社員をしていて、美術に関わるなんて夢にも思っていなかった。それより目の前にある壮絶な不況とどう闘っていくかという、きわめて形而下的で日常的な問題があった。美術そのほかの表現は散発的に見ていたけど、あまりにも目の前の社会の混乱と乖離してて、そのことにひどくイライラしていた。都現美で回顧された95年以降の美術を見て、当時感じていたイライラが、まるで昨日のことのように思い出された。確かに振り返れば美術の中にもこうしたカタストロフ状況に応えた作品はあったのだけれど、いち生活者の実感としては「こんなもんじゃない、こんなもんじゃ足りない」と思っていた。


 この時期の社会の動揺に敏感に反応していたのは、批評家の土屋誠一さん(@seiichitsuchiya)も指摘しておられる通り、むしろハイアートよりサブカルチャー、なかでもセカイ系と言われる一群の作品だったような気がする。フリッパーズギターの3枚目(「ヘッド博士の世界塔」、まさにセカイ系だ!)、岡崎京子のマンガ、エヴァを始めとするセカイ系アニメ、渋谷の援交ギャル〜ヤマンバギャルなどなど。タトゥーやハードピアッシング自傷身体改造、心霊実話やJホラー、ゼロ年代以降に表面化するゴシックカルチャーもそうかもしれない。大きな目で見れば野島伸司脚本のテレビドラマや、99年にデビューする山下敦弘監督の映画なども、90年代以降の社会の激変から生まれてきたものだと言えるだろう。


 ただし、これらサブカルチャーの産物を収蔵する方法論を、美術館という場所は(基本的には)持っていない。こうしたことに気づかせてくれる展示として、やはり今回の展示は有効だったと言えるだろう。都現美の95年展はあくまで美術、しかも収蔵品を示す展示で、そもそも限界を抱えている。逆にあの展示を見た人は、95年以降とは何だったのか、美術はそれにどう応答したのか、それ以外の表現は、ということを補完していく叩き台と考えてはどうかと思う。そしてこうした制度外の作品を、美術館はどうアーカイブしていけるのか。そうした「不在」を考えさせる、優れた展示だったと思う。

開館20周年記念 MOTコレクション特別企画
クロニクル1995−
2014年6月7日(土)−8月31日(日)
東京都現代美術館 常設展示室 1階、3階
http://www.mot-art-museum.jp/exhibition/chronicle1995.html