カウラ収容所

残念ながら私は見逃してしまったのですが、「カウラ収容所事件」についてのドラマが、昨日テレビで放映されたようです。


http://www.ntv.co.jp/cowra/


この第二次大戦中の悲劇は、一般にはほとんど知られていないのですが、オーストラリアの捕虜収容所にいた日本人捕虜たちが、満月が煌々と輝く明るい月夜に、銃殺覚悟で脱走したという事件です。数百名近くがその場で「万歳」を叫びながら銃殺されたのですが、彼ら日本人捕虜たちは虐待されていたわけでもなく、オーストラリア側はなぜ彼らが、こんな明るい月夜に死を覚悟で脱走するのか、まったく理解できなかった、といいます。


当時も現在も、一般に戦争捕虜にはジュネーブ条約というのが適用され、捕虜の人権侵害を守ることが求められ、母国との交信も原則自由です。ところが日本は当時この条約を批准しておらず、「生きて捕虜になるくらいなら死ね」という教育が行われていました。このため、彼らは日本に手紙を書くこともままならず(身内が捕虜になったことがバレると家族は非国民扱いになるので)、孤立感を深め、こうした自殺行為に走ったわけです。


この事件の唯一の救いは、脱走した側も射殺した側も、誰も「悪人」として責められず、誰も彼もが戦争の犠牲者であった、という気持ちで、戦後も現地の関係者や遺族同士が、不思議な友情で結ばれたことだと思います。現地では今も毎年慰霊祭が行われていて、日本とオーストラリアの親善の大きな拠点になったと聞きます。


私はこの事件のことを、美術作家、中ハシ克シゲさんの作品を通じて知りました。中ハシさんはこうした戦争の「記念的」な場所で、一日かけてその地面を撮影し、モザイクのようにつなぐプロジェクトを美術作品の制作活動として続けておられて、私はかつてその制作を一部お手伝いしたことがあります。カウラ事件という非常にマイナーな事件を知っているのはそのためです。


戦争というものを私は経験したことはありませんが、少なくともその末端にいて泥だらけになっている人間は、どこの国の人間だろうと「善」でも「悪」でもなく、ただがむしゃらにやむを得ず、お上の都合で振り回されているだけ、なんじゃないかと思います。今回ドラマ化されたことで、この事件は広く知られることになるでしょう。戦争についての若い人の考え方が少しでも変わって深まれば、と思います。