維新派「ろじ式」

『TH』に記事を書いたご縁で、招待を頂いて見てきました、維新派の新作「ろじ式」。理科系少年の博物標本室、みたいな舞台装置。舞台狭しと無数に並ぶ、骨格標本入りの函。こういうの、いいですね。そそられますね。プラトン立体の一つである直方体に閉じ込められた、古代の記憶のかけらたち。いかにもこのへん、維新派ですね。

と、標本箱は幾度も並べ替えられて、無方向的な路地空間に変わる。ここからあとは、路地を巡る無限の連想と考察のつづれ織りで、舞台は進行していきます。夕餉の匂いがどこからともなく漂い、隣のラジオの声が筒抜けに聞こえる、狭苦しい路地。売り言葉に買い言葉、すぐに喧嘩の始まる路地。ブリキのトタン板や町工場の錆び付いた機械が放置された、モノづくりの現場のひしめく路地。めまぐるしく駆け回るうちに、いつの間にか南方の島々や、朝鮮半島に出てしまいそうな、無国籍的な路地……。路地を巡る様々なイメージの断片が、これでもかと示されます。そして終盤、舞台下手に沈む夕陽に向かい、果てしない路地をアジアの果てまで幻視する、役者たちの姿を描いて、舞台は幕を閉じるのでした。

ちなみに、今回の舞台で面白かったのは、維新派にしては珍しく、リズムもメロディーも節回しもない、普通の台詞が混ざっていたこと。これがまた、異様なくらいリアリティーがあるんですね。まだ楽日を迎えていないので、詳しい内容は伏せますが、わりと序盤の方に出てきて、ちょっと寺山修司の『レミング』にも似た、禍々しくもシュールな寸劇が挿入されます。で、実はこの部分が私には、一番面白かった部分でした。これからご覧になる方は注目してご覧になってください。ちょっとぞくっとする場面ですよ。