前川紘士、@KCU

せんだって、京都市内にできた新しいギャラリー「@KCUA(アクア)のことをご紹介しました。京都市立芸大と京都市立銅駝高校が、京都市内の都心部に設けたサテライトギャラリーで、正式名称は堀川御池ギャラリー。その落し展である「きょう・せい」については、既に一度ご紹介しました。

http://d.hatena.ne.jp/higuchi1967/20100418/1271557371

先日、その「きょう・せい」の第2期展示を見てきたのですが、そのなかで私にとってちょっと興味深い作家の方が一人いらしたので、ここでご紹介しておきます。前川紘士さんという方です。

http://www.kojimaekawa.com/

今回展示されていたのは《仕掛け景色》(2010)という作品。道路舗装に使うアスファルトで塗り固めた巨大な板と、その上に散らばるゴミのようなもの、そしてプロジェクターの映像。展示されているゴミと同じものが、町の路上に落ちていて、風になぶられている様子が、映像には映し出されています。

実は今回展示されているこの「ゴミ」は、すべて前川さんの手になる「偽物のゴミ」。バケツ、スコップ、子どもの靴などの落とし物のように見えるのですが、全て紙で作られている偽物で、あたかも本物の落とし物であるかのように擬態して、街を漂流する。前川さんはこうした「偽のゴミ」を、京都市内29カ所に配置して、その様子をビデオで写し撮ったそうです。

私がこの作品を見て連想したのは、P・K・ディックの小説『ヴァリス』でした。この小説はドラッグで精神に異常を来した主人公の妄想をめぐって書かれたもの。主人公は神が路上のゴミに擬態して、この世界に侵入しているという妄想を抱いています。前川さんの作品の場合、侵入しているのは神ならぬアートなわけですが、なにか形而上的な価値観が、もっともとるに足らぬものに擬態して侵入する、という発想がよく似ています

前川さんはほかにも「半外プロジェクト」という作品を手がけていて、これはとある病院の小さな空間=「半外スペース」で、展覧会を行うというもの。このプロジェクトで前川さんは、病院の小さなドアから巨大なハリボテの犬の顔が覗く《犬のいる風景》という作品を手がけています。私はこの作品から、日常の中の小さな亀裂、いっけん些細でありながら何か重大なものを予感させる亀裂を感じてしまいます。

http://www.eonet.ne.jp/~hansoto/Projects/Projects-11/Projects-11-1.htm

やや暴力的なニュアンスを伴う「介入芸術」とは違って、前川さんの作品は、日常に潜むとるに足らぬものに擬態したり、建築物の隙間のどうしようもないスペースに寄生したりします。そこが私にとっては面白いし、ある意味ではなかば病理的な、ドキドキさせるものになっています。今後の活躍が楽しみな作家さんです。