荒川さん、針生さん、大野さん

今年は本当に大変な年で、5月19日に荒川修作さんが亡くなり、5月26日には針生一郎さんが亡くなり、6月1日には大野一雄さんが亡くなった。

こうも立て続けに、戦後の前衛を代表する方が亡くなるというのは、いったい何ということだろうかと思う。前衛が終わった、と括ればキャッチフレーズとしては収まりがつくのだろうが、前衛という言葉を私はまだどこかで信じているし、死語にしたくなという思いが残っている。コンテンポラリーという言葉には、前衛にあった「牙」を抜かれたような匂いがあって、どうにもそれが鼻につくときがあるからだ。

前衛からコンテンポラリーという呼び名になって、確かに同時代の作品がきちんと売れるようになったけれど、その分、社会や文明に突き刺さる批評性や鋭さも、世界全体の状況を丸呑みにしてやろうというスケール感も、ずいぶん乏しくなっているのではないかという気がする。もちろん、自分自身の評論のせせこましさを棚に上げて言う話なのだけれど。

その思いは『TH』の編集、執筆陣一同に、ひそかに共通するようで、今月末に出た『TH』では、大野さん追悼の特集を組むとともに、荒川さんの生涯について触れた拙筆を掲載してもらった。けれども残念ながら針生さんについては、フォローする人がいなかったようだ。私自身も荒川さんの記事で手一杯で、どうにも手が着けられなかった。苦々しい思いとともに、今後の自分への宿題にしなければならないだろうと思う。

『TH』小特集・大野一雄さん追悼
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朝日の大西若人さんによる、荒川修作さん追悼文。ごく身近に接した人の証言として貴重。以下、メモとして転載。

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もう聞けぬ大言壮語
死に抗った美術家荒川修作さん逝く
2010年7月30日15時52分

66歳の時の荒川修作さん
 「いいかね、キミ」と念を押してから、「僕は新しい生命を作り上げた」と言ってみたり、「虫の方が人間より完全な建築形式をつくり上げている」と語ったり。5月19日に73歳で急逝した美術家荒川修作さんの話はいつも日常のスケールを逸脱し、全部を理解したとはなかなか思えない。でも聞き終わると、こちらの気分までちょっぴり大きくなるような爽快(そうかい)感があった。

 東京都港区南青山1の26の4のギャラリー・アートアンリミテッドで8月7日まで展示されているドローイング群からも、荒川さんのそんなスケール感が伝わってくる。

 多くは、1995年に岐阜県で完成した庭園・養老天命反転地のために92〜94年に描かれたもの。天命反転地は、荒川さんと妻で詩人のマドリン・ギンズさんの代表作の一つで、巨大なすり鉢状の敷地に、日本列島の地図があったり、天地が逆転した家があったり。ドローイングには、反転地らしき円盤を一人の男が、ギリシャ神話のアトラスさながらに支えている図柄もある。このスケールの大きな男こそ、「死なないため」の世界をつくると唱え続けた荒川さん自身なのだろう。

 武蔵野美術学校を中退し、前衛集団に参加するも、日本を飛び出しニューヨークを拠点に。「世界の設計図」を思わせる絵画の後、反転地などの建築的表現に転じた。

 そのニューヨークからは、「これが完成したら世界が変わる」などと、新しい構想を記したFAXが新聞社に何度も届いた。話を聞く度に、「これをキミの新聞の1面に載せるんだ。そうすれば、日本は変わる」と言われた。真顔のこともあったが、噴き出しながら語ることも。ちゃんと客観視していたのだろう。

 「若いころから、自分の体が穴だらけの夢を見てきた」と聞いたこともある。それはおそらく戦時中の肉体のイメージから来ていて、さらには戦争を起こすような人間の体を芸術の力で変えなければ、とも語っていた。

 出身地・名古屋の美術評論家、馬場駿吉さんによると、79年に初めて会った時、荒川さんは若者に向かって、「日本の美術界はものすごい田舎で、名古屋は最たるもの。でも、名古屋には空白や余白がある。それが可能性だ」と話していたという。

 「反転地」や東京の「三鷹天命反転住宅」の傾いた壁や床は、人間が自分の体を再認識し、世界の意味を考え、死生観も変えてゆく、つまりは死なないことにつながる場なのだろう。そうやって荒川さんは、体の穴や世界の空白を埋めてきたに違いない。

 70歳を過ぎても、童顔で肌もツルツル、知的、芸術的意欲にあふれ、相変わらずの大言壮語。この人は本当に死なないのではないか、と思わせた。それだけに、突然の訃報(ふほう)は、衝撃だった。

 もちろん、天命反転地などの形で、アラカワの思想は具体的な体験として、引き継がれていく。その意味では、確かに死なない。そうは分かっていても、何かと息苦しいこの時代に、あの大ボラすれすれの気宇壮大な話がもう聞けないのは、あまりに寂しい。(編集委員・大西若人)

http://www.asahi.com/culture/news_culture/TKY201007300344.html