中国文学者、福嶋亮大さんのつぶやき

 中国文学者の福嶋亮大さんが、近年流行する「クールジャパン」的な美学、そしてその源流にある若冲ら「奇想の系譜」の画家たちについて、非常に面白いことを書いていらっしゃいます。もとはツイッター連投ですが、例によって一続きのテクストにします。

@liang_da
 何でもいいですが、たとえば16世紀の狩野永徳(まぁ彼は桃山時代だけど)について、17世紀の『本朝画史』で「怪怪奇奇」と評される。これは辻惟雄言うところの又兵衛や若冲の「奇想の系譜」とも絡むわけだけど、しかし「怪怪奇奇」って別に日本特有の美学じゃないんですね。
 実際、16〜17世紀の中国もいってみれば「奇想」の時代であって、董其昌(樋口注:とう・きしょう、明代末の文人画家)や傅山(樋口注:ふざん、明末清初の文人)あたりの書画家は「奇」の作家であり、また演劇や文学についての評論でも文字通り「怪怪奇奇」って言葉が使われたりもする。「怪」をプラスに読み替える価値観が、この時期に出てるわけです。


これはすごく説得力のある議論。ご参考までに、董其昌とはこんな画家。なんなんだこの異常な風景は。火星か、ここは。

 奇想の美学が承認されるようになった時代の象徴として捉えるならば、狩野永徳は「桃山時代の画家」という以上に、「16世紀東アジアの画家」と言ったほうがいい。
 現在のいわゆるクールジャパン的なものの一つの起源も、江戸にあると言われる。確かに江戸も後期に入れば、日本のなかに自閉していくと言えるし、磯崎さんが言うように自己流にカスタマイズする動きも出てくる。ただ、16〜17世紀くらいだと、そのカスタマイズも東アジア規模でやってるんです。
 僕としては「クールジャパンの起源」としての江戸システムには、実は「東アジア消費社会の起源」の問題もあらかじめ繰り込まれているのではないか、というふうに問いを立てたい。クールジャパン的なものは最初から異物を抱えていたという具合に論を進めたほうが、アクチュアリティがあるからです。
 16〜17世紀の日本と中国が、比較的似た美学を持っているということは、ちょっと主要な文献を読めば分かることなのですが、意外にそのことが示されていない。江戸が自閉的だったというのは部分的に正しいけれど、しかし、東アジア的な共通項もたくさんあるのです。


これもまたその通りだと思います。もう一つ、ご参考までに傅山の作品を。「みみずがのたくったような」とはまさにこのことか。まさに「書」における奇想の美学。

 「奇想の系譜」的なものが着眼されるようになったのは、僕は単純にいいことだと思う。ただ、僕の記憶が正しければ、辻惟雄氏のいう「奇想」eccentrismにしても、もともと中国と日本の文人画の研究をしていたJames Cahillの董其昌論か何かに由来するはずです。

だから、もともと奇想の系譜が東アジア的なものであることは明らかなんだけど、最近はそのことが忘れられている。それは悪い意味で、磯崎さんの言う「新世界システム」の自閉性を具現化しているので(笑)、より発展的な新世界システムを構想すべきです。
 あと、僕はもともと「一見してよく似てるけれど実は違う」、あるいは逆に「一見して違うけれど、何らかの変換を加えてやると一致する」という文化間の距離感に興味があるんです。むかし「同床異夢の文化」って言い方をしたこともあるけれど、近さと遠さが折り重なった他者性というのがあるんですね。
 結局、ヨーロッパと日本は端的に違うわけです。文化風習から知的風土から何から。けれども、日本と中国は部分的にはとてもよく似ている。しかし、歴史的経路の問題で、文化の進化の方向性が枝分かれしたわけですね。


 以前、私は伊藤若冲の絵画と、十六世紀朝鮮の女性画家、申師任堂(シン・サイムダン)のそれが似てるんじゃないかと、まったくの思いつきで書いたことがあります。まったく実証的な裏付けはなく、単に勘でそう書いたのですが、これを読むと「ひょっとして?」などと思ってしまいます。ちなみに申師任堂が上、若冲が下。

ユリイカ若冲特集
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 こういう「似ているが違う」タイプの他者性をどう処理するか。それは、思想的にあまり突き詰められていないと思う。哲学では、神という他者か、経験的な他者か、そのどちらかかしかないからです。しかし、そのいずれにも属さないあいまいな他者性があるのではないか。
 (謝謝。辻さんは当然そういう立場だと思います。RT @columbus20 日本近世のエキセントリックスと中国の明清におけるエキセントリックスの系譜…との比較も、…いずれ誰かによって取り上げられなければならない興味深いテーマである。『奇想の系譜』242-243p.)
 それに、これは雑駁な印象論ですが、いわゆる「和様化」が進んでる時期って、中国もある意味で「和様化(というか中様化?)」してたりもするんで、文化的な閉鎖ってわりと地域的な同期性があるんですね。
まぁとにかく、今の文化状況からして「江戸システム」の記憶が呼び出されるのは仕方がない。ただ、それで「日本文化って加工とスノビズムだよね」とかいうと、コジェーヴみたいな話で終わりです。それは、僕としては是が非でも回避したい。
これまでは「江戸の遺制」に反発する人は、西洋を対置した。けれども、中国や韓国を持ってくる手もあるのではないか。そういうオルタナティヴを出さないと、いつまで経ってもコジェーヴで終わりです。それには不満がある。


 福嶋さんのつぶやきは以上ですが、実際、若冲をはじめとする十八世紀の畸人画家たちの知的バックグラウンドは、当時最先端の教義であった黄檗宗(おうばくしゅう)のもたらす、中国直輸入の文化でした。たとえば若冲を援助した大典が修行を始めた最初の寺は、宇治の黄檗山、華厳院です。彼らは黄檗寺院に伝わる篆刻の技術で落款を刻み、最新の外来文化を茶請けにして、黄檗僧が輸入した煎茶を啜ったのですね。で、そうした奇人変人の集まるカフェを営んでいたのが、この下の売茶翁(ばいさおう)さんという人です。見るからに変人カフェ親父という感じの人ですが。

 もちろん若冲自身にしても、黄檗萬福寺の僧、鶴亭(かくてい)からは多大な影響を受けたと言われていますし、のちには彼自身も得度して、黄檗僧になっています。
 近年、日本的な美学が流行していますが、現在の日本文化が、日本人だけの独創でできているのではないように、江戸期の日本文化も東アジアの様々な文化の影響かに成り立っています。こうした国際的ネットワークの中で江戸文化を見る試みは、今後非常に重要になってくるんじゃないでしょうか。