微熱授業:イチゼロ年代を考える
今日は神戸学院大というところで講義をしてきました。この授業は前期15回の授業で、今日はその2回目。幸いなことに神戸学院大はとても真面目な学生さんが揃っていて、一限目の授業なのにほぼ全員が予鈴の前に着席しています。出席カードを配ったらびっちりと感想を書いた子が3分の1もいて、その熱心さには本当に驚いています。
さて、この講義はサブカルチャーを10年ごとのディケイドに区切って振り返るというもの。こちらから一方的にレクチャーするのでなく、学生さんに問いかけながら、各自で考えてもらうスタイルを採っています。いまマイケル・サンデルさんがハーバードでやってる「白熱授業」というのが人気だそうですが、一方通行でなく問いかけて答えてもらうという意味で、基本的な考え方は似ています。ただ残念なことに私はサンデルさんほど頭が良くないので、白熱授業ならぬ「微熱授業」なのですが……。
授業は現在からだんだん遡っていく形式を採っていて、今日は2010年代をやったのですが、試しに聞いてみたら「テン年代」「十年代」より「イチゼロ年代」という言い方をした方が、若い方にはしっくり来るのだそうです。で、そうしたイチゼロ年代のサブカルチャーを考えるときに、やはり重要なのはこの地震と原発の騒ぎでしょう。そこで話の取っ掛かりにしたのは、いまCMでさかんに流れている歌謡曲「上を向いて歩こう」テーマでした。
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学生さんに聞いてみると「上を向いて歩こう」のメロディーは知ってるけど、誰がいつ歌ってたのか、ほとんどの人が知らないんですよね。坂本九という名前を知ってる子になると、数十名中二、三人くらいしかいない。つまりなぜあの歌がいまCMで流れているのか、理解できずに聞いているわけですね。日本が幸福な成長期にあった60年代、3ヶ月も1位をキープして海外にも紹介され、世界中で大ヒットして……といった背景を、若い人は知りません。けれども我々以上の世代にとっては「言わずもがな」のことなので、誰もいちいち説明しない。なので、わからないままに聞いているわけです。
あの歌はけっこう懐の深い歌で、失恋した人の歌のようにも思えるし、ほかの挫折を経験した人の歌のようにも思える。作詞した永六輔自身は、安保反対の民意に反して日米安保が成立した挫折感から作ったものだと言ってるそうですが、いずれにせよ挫折経験にくじけまいという歌です。そして不思議なことにいま振り返ると、「まだまだ暮らし向きはそれほど豊かでなかった60年代、私たち日本人は上を向いて頑張ってきたじゃないか、だからもう一度頑張ろうよ」という歌に聞こえるんですね。
で、そういうバックグラウンドを説明すると、やっと学生さんたちは「なるほど」という顔をする。つまり「上を向いて歩こう」という歌は、坂本九という大衆歌手によって歌われたサブカルチャーでありながら、若者にとってはハイコードで、既に古典化、クラシック化している。それともう一つ言うと「歌やドラマなどのサブカルチャーは社会的な背景と結びついているのだ」という考え方そのものに、学生さんたちは慣れていない。これはいわゆる「セカイ系」、セカイと個人の間にあるべきシャカイというものをすっ飛ばした作品が増えた結果かもしれません。
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「上を向いて歩こう」のCMにせよ「頑張れニッポン」の合唱にせよ、いま日本の文化は高度成長期の幸福な時代に帰ろうよ、と叫んでいるように私には見えます。多くの人がそうした気持ちを抱くのは、とてもよくわかるけど、同時にそれは退行しているようにも見える。「一つになろう、ニッポン!」というフレーズが出てくる直前は、日本の文化はほぼ極限に近い多様化状況にあったのに、この数ヶ月で一変した。日本人みんなが三ヶ月に渡って同じ歌を聴き続け、みんなで高度成長の夢に向かった時代への郷愁に、いま多くの人が浸っている。
極限の多様化状況から震災を挟んで「上を向いて歩こう」「一つになろうニッポン!」というユニティー幻想に、いま日本は収束している。驚いたことに坂本龍一さんのような、多様化とオルタナティブの象徴のような人までが、「上を向いて歩こう」のCMに参加している。実を言うと私自身は、どちらの気持ちもよくわかる。いまはユニティー幻想に浸りたいという気持ちもわかるし、それに息苦しさを感じる人がいるのもわかる。そこで学生さんたちに聞いたのは、多様化した震災以前の文化状況といまの文化状況、どちらがいいかということでした。
私にとっては意外なことに、学生さんたちの約3分の1は「多様化した文化状況を震災以前同様に享受したい」と希望しました。もちろん「被災地の人が元気の出るような文化や歌を届けるべきだ」という少数意見もありましたが、わずか数名に留まりました。これは別にそうした結論に誘導したわけではなく、むしろ「上を向いて歩こう」への思い入れたっぷりの解説を聞いてもらったあとに、彼らはそうした結論をくだしたのです。同様に、過剰な自粛ムードへの倦怠感も、かなりの人数の人が示していました。
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彼らが望んでいるのは「ユニティー幻想か否か」という切り口よりも、むしろ「震災以前への回帰」のようでした(そこまで明瞭に言語化できる生徒はいないのですが)。ただ、私は最後に一つの予測を付け加えました。おそらくこの震災を境に、日本の文化は変わるだろう、と。実際、ある程度以上の世代なら、1995年の神戸の震災以来、多くの文化的環境が変わったと感じる人が多いと思います。震災の数ヶ月後のサリン事件、97年の酒鬼薔薇事件と続くなかで形成された90年代文化は、80年代とはまるで違ったものだったとは思いませんか?
90年代の文化を一言で言えば「壊れた文化」だろうと私は思います。ドラマから華やかな恋愛が姿を消し、エヴァンゲリオンのようなぶっ壊れたアニメが登場してカルト的な人気を誇り、タトゥーが流行しゴシックブランドが立ち上がった。やはり異様な時代です。いま始まりつつあるイチゼロ年代の文化が、そうした90年代の再来のような「壊れた文化」になっていくのか、それともこの1カ月間で嵐のように吹き荒れている「上を向いて歩こう文化」になるのか。その行方は未知数ですし、それは若い学生さんたちも含めた私たち自身が決めていくことです。
講義では学生さんたちに「イチゼロ年代の文化の行方を決めるのはみなさんです!」などと焚き付けているわけですが、同時に自分自身もその責任の一端を担っていることに違いはありません。自分自身もこの授業を通じて、今後の文化がいかにあるべきか、半年かけて考えてみたいと思っています。