ジミヘンのギター・サクリファイス
昨日、ジミヘンのモンタレーの演奏を大学で上映したところ、例の壮絶なギタークラッシュを見て、授業終了後の感想に「楽器を壊すなんて許せません!」という意見が多数出ました。まあ単にジミヘンの猿真似してギター壊してるバンドとか見ると自分も凍り付くので、気持ちはわからなくはないです。
ジミ・ヘンドリックス
「wild thing」モンタレーポップフェス
https://bitly.com/qVGQzL
これはある程度以上のロック好きなら必ずと言っていいほど見てる映像で、自分としてはもはやデフォルトになっていたので、最初はこの反応に「そ、そっちですか!」と驚いたのですが、これはロック好きでない人にとっては、いまだに衝撃的過ぎる光景のようですね。事実ネットを見てみると、こんな書き込みも散見できます。世の中広い、考え方もいろいろです。
楽器を壊す人について
https://bitly.com/qyJLKg
確かオーストリアの作家だったと思いますが、金管楽器をプレス機にかけてぺちゃんこにしてしまう美術作家がいて、囂々たる非難を浴びたそうですね。彼の地では美術より音楽の方がはるかにエラいので、これは言語道断な行為なのだとか。ぐちゃぐちゃに破壊しているわけではなく、ちゃんと綺麗に平らに伸ばして、それを五線譜状に並べたりしているのだけれど、そもそも「視覚芸術のために楽器を破壊する」という行為自体が許せないらしい。モノへの感受性は文化によって違うという好例です。
いっぽう昔「料理の鉄人」というTV番組があって、アメリカの料理人がマナ板の上に乗ってガッツポーズを取り、会場が騒然となった出来事があったのですが、私もその行為には強い違和感を覚えた記憶があります。モノへの感受性は文化によって違うことは承知していながらも、これは感情的に納得行かなかったですね。
ジミの行為はそういう単に粗雑な扱いとは違って、ギターへの深い愛憎が感じられるし、モノに対する擬人的な眼差しが伺える(馬乗りになる、セックスのような動作をする、キスする、火あぶりにする)。ジミは白人と黒人とアメリカンネイティブの血が混じってて義母は日本人という複雑な家系で、「黒人のくせに白人向けのロックをやってる」と非難され続けた人で、そういう部分がギターの壊し方一つにも出てるように思えます。ある種生け贄的というか、供犠の儀式のように見える。最後まで音が出続けているのも偶然とはいえ驚異的で、何かジミの神秘的な能力を感じてしまいますよね。
自分としてはそういう部分まで感じ取って欲しいのですが、結局のところ自分の仕事は「ここにドアがあるよ」と指し示すところまでで、そのドアを開けるかどうか、開けて進むかどうかは本人次第だし、それを無理強いすることはできないんですよね。これがゼミとかならもう少し踏み込めるのかもしれないけれど、大教室の授業だもんな。