「閨秀2.0」栗田咲子さんのこと

 来月やるグループ展「閨秀2.0」のこの話をいただいたとき、真っ先に声をかけた方が栗田咲子さんでした。理由の一つは単純に、勤務先が同じ学校という理由。もう一つは2年前の「絵画の庭」(国立国際美術館、2010)という展覧会に栗田さんが出品されたとき、うまく書くことができなかったから。「絵画の庭」のときの失語状態は今でも結構生々しく覚えていて、ずっとリベンジの機会がないかなと思ってたけど、どうにもうまくいかずに挫折してきた。ほかの人にとってはどうだかわからないけど、自分にとって栗田さんは、とにかく書くのが難しい作家だった。

「閨秀2.0」
http://d.hatena.ne.jp/higuchi1967/20111109/1320811691


 栗田さんの作品は、さらっと見る分には普通の絵画に見えるけど、その実すごく複雑。私たちがふだん「普通の絵」「わかりやすい絵」と思っている絵は、近代的なルールに従って描かれている。一点透視図法とか解剖学的な知見とか。「現代美術はわかりにくい」とよく言われるのは、こうした近代のルールに従っていないから。ピカソもダリもデュシャン岡本太郎も、近代のルールを無視するか、それを超えたところで仕事をしている。ところが私たちの視覚というのは、いまだに近代の枠組みの中にある。だから、わかりにくい。


 では、栗田さんはどちらの枠組みで仕事をしているのか。強いて言えば近代と現代の間の亀裂の真上で仕事をしている。「現代絵画」のルールを知った上で、あえて「近代絵画」をやろうとしている。その不整合性が、あちらこちらから覗いている。これが、いっけん「わかりやすい普通の絵」に見えて、実際に語ろうとするとやたらと難しくなる理由。実際、この展覧会やるにあたって『TH』に栗田さんの紹介を書き始めたら、20枚きっちり使ってしまった。この原稿は来月末発売の『TH』に出ますので、是非お読みになってください。展覧会「閨秀2.0」の、いわば姉妹編のような原稿になっています。

樋口ヒロユキ「栗田咲子と近代的具象」『TH』(アトリエサード)
http://www.amazon.co.jp/dp/toc/4883751333


 (以下補筆)栗田さんの作品は、二つの意味でとても魅力的。一つは、いっけんフツーに動物や風景を描いた「わかりやすい絵」「ユーモラスな絵」として楽しめる。タイトルも秀逸で、俳句に詳しい文筆家の千野帽子さんをして「これは俳句だよ!」といわしめる面白さ。けれどもじっくり見て考えると、近代を越えた「現代」をいやおうなく生きざるを得ない私たちの感覚、そこに隠れている亀裂を生々しく描いている。是非ご覧になっていただければ、と思う。(2013.9.15)