「村上三郎 展 ー70年代を中心にー」

 いま大阪のアートコートギャラリーで開催されている村上三郎展は、これは多くの方、なかでも作家に見て欲しい展覧会です。村上さんは既に故人ですが、この展覧会にはいま現在のアートを読み解く、非常に大きな手がかりがあるからです。


 既に幾度もいろんなところで書いているのですが、実はゼロ年代の後半あたりから、作品を制作する際に自分なりのルールを決めて、そのルールに従って制作していく作家が増えています。決めてあるのはルールだけなので、出来上がる全体像は作家にもわからないのです。しかもこうした作家たちは、互いに影響し合ってルール主義(これは私の造語ですが)に取り組んだわけではなく、各自が独自に同じことを考えて、ほぼ独立してルール主義による制作を進めた、という経緯があります。


 たとえば、画中の人物のポーズにいくつかのルールを設定して描き進めていく坂本夏子。厳密に定められた手順によって、紙をコンマ数ミリ四方の紙片に切っていく森本絵利。いくつかの描画ソフトによって半自動的に絵画を生成させようとする柳澤顕。さらには細菌の群落のようなコロニー群を油彩で描く彦坂敏昭や、麻ひもで編み上げた手製のキャンバスの上に、花びらのような筆触で絵画を生成させていく村山悟郎といった作家たちがいます。このほか三宅砂織や林勇樹など、実に多くの若手たちが、一様に「ルール」を口にします。


 住んでいる地域も違えば世代も微妙に異なり、最終的な表現の形態もまったく異なる作家が同時に口にする。この不思議なルール主義は、その多くがゼロ年代に制作を始めた作家による、同時多発的な現象です。けれども飛び抜けて早いルール主義の実例が一つあります。それがアートコートで展示中の村上三郎さんです。彼がそうしたプロセスを考えたのは、なんと70年代のこと。彼の方法論は非常に明確で、今回の展覧会では彼の制作メモも展示されていますが、そのなかにはこんな言葉が記されているのです。

絵を創っていく
 方法を創っていく

(日常)→個展


 もしこのメモが「絵を創っていく方法そのものを創り、その方法そのものを個展で展示する」という意味ならば、ゼロ年代に顕在化した「ルール主義」ときわめて近似する方法を、村上さんは70年代から考えていたということになります。実際、村上さんの作品には、ゼロ年代の一部の作家と非常に良く似た作品もあります。《10,378の赤い丸》(1973)、《24,200の黒い丸》(1973)と題された作品がそれで、一定のルールで極小の丸や点を打っていく森本絵利の作品と、きわめてよく似た手法を見ることができます。

森本絵利
http://livedoor.blogimg.jp/okakenta_mangekyo/imgs/d/2/d2c100c4.jpg
http://d.hatena.ne.jp/higuchi1967/20091113


 村上さんには「50-60年代に具体美術協会で活躍し、既成概念を打ち破る絵画を制作した人」というイメージがあり、特に「紙破り」と呼ばれるパフォーマンスは伝説的なものになっています。このため私も「村上さん=紙破り」という固定したイメージの中でだけ考え、それ以上考えてこなかったのですが、実はそうした50-60年代における既成概念の破壊のあとで、70年代にはゼロから自前のルールを作り、新たな絵画を立ち上げていたのです。そういうわけで村上さんは、いまこそ見られるべきだし考えられる作家であると思います。今日の絵画を考える方は、是非ご覧になられると良いかと思います。

村上三郎 展 ー70年代を中心にー」
アートコートギャラリー、17日[土]まで
http://bit.ly/sFEZAS


【注記】村上さんのメモは原文は縦書き。「日常」の語は丸で囲われています。