サブカル論は何の役に立つのか

 そういえば、昨日は神戸市外大の学生さんが拙宅の近くまでお見えになって、自分の絵を見て欲しいというのでお会いしたのだが、この学生さんは驚いたことに、神戸学院でやってる自分の講義を聴きたいという。朝イチだよというと、それでも構いませんというのだ。これにはさすがにびっくりした。


 だって神戸と明石って、新幹線で一駅分以上の距離だよ? もともと他学部からの履修生がちらほらいる講義ではあるけど、他大学からの聴講は初めて。しかも単位になるわけでもないのに、ただ単に聴きたいから行くという。大人数の教室なので別に構いませんよと答えたけど……。


 実を言えば神戸学院大での講義は、かなり初歩的なサブカル史の手ほどきを中心にしている。なのでマニアにはちょっと物足りない講義かもしれない。でも大多数の若者にとっては70-80年代の話は初めて聞くことばかりのようで、ほとんど毎回「びっくりした、驚いた」という感想で出席カードが埋まる。何せ彼らのご両親は松田聖子とYMOの世代なのだ。自分にしたらついこないだのことなのに!


 考えてみれば自分も子どもだった頃には、親が影響を受けたサブカルチャーの話なんて、一度も聞いたことがない。50年代末から60年代初頭に青春時代を送ったはずだから、ビートルズが来日する以前の世代。プレスリーニール・セダカ、いわゆるフィフティーズ世代だったはずだ。けれどもそういうフィフティーズ談義を、親と交わした記憶がない。


 サブカルチャーってのはそんなもんで、ほっとくとどんどん世代間の断絶で途切れて、最後は雲散霧消してしまう宿命にあるのだろう。そんなものをわざわざ大学の授業で教えて何の役に立つのかと言われると返事に窮するが、いっぽうでゴスロリファッションに見られるように、18世紀のロココ時代からヒントを得たファッションが堂々と復権するのが現代だ。なにがいつ流行ってどう役立つかなんて誰にもわからない。


 そういう意味ではいっけん無用の長物のようなサブカル談義も、今後の文化や産業を占う上で、多少のヒントにはなるかもしれない。どんな学生さんに会ってどんな授業になるのやら、いまからとても楽しみにしている。