藤野可織さん新刊『パトロネ』

 藤野可織さんの新刊『パトロネ』をご恵贈いただいて読了した。藤野さんは美学科出身の方なので、妙に感覚が美術的で、しかも大のホラー好きでもある。恐怖と美の重なる瞬間には自分も非常に強い興味があって、自分と関心領域はかなり重なる(院生時代のご専門は確か木村伊兵衛だったかな?)。


 たとえば併録作の「いけにえ」は地方の公立美術館を舞台にしたホラー。自分的に一番ぐっと来たのは、作中で学芸員が心に抱く作家論だ。「岡田登美乃」という架空の女性画家をめぐる作家論なのだけれど、実在の作家についてのつまらない論評を読むより、ずっと面白いしスリリング、しかも怖い。これをもっと敷衍して、架空の作家の伝奇ばかり集めた短編集とか書いて欲しいと思うくらいだ。


 この「岡田登美乃」論のどこが面白いのかというと、まさに恐怖と美が重なりあう領域を論じているから。以前Jホラー映画の傑作「女優霊」を見たときも思ったけど、恐怖という感情は、実は美的表象の根源に関わるものじゃないかと思う。「岡田登美乃」論はまさにそこをピンポイントで突いてくるもの。この学芸員ももちろん架空の人だろうけど、もし実在したら一晩ゆっくりお酒でもご一緒したいくらいだ。


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 いっぽう表題作の「パトロネ」は、美学者の谷川渥さんの論文集『鏡と皮膚』と併読すると、非常に面白い作品だと思う。谷川さんは『鏡と皮膚』で「マルシュアスの皮剥ぎ」という神話を紹介しているけど、藤野さんの「パトロネ」のテーマは皮膚、しかも舞台は「川萩市(かわはぎし)」というのだ!


 「マルシュアスの皮剥ぎ」というのは、芸術家の驕慢を戒める説話だ。楽器勝負で神に対決を挑んだ半獣半神が、勝負に敗れて皮を剥がれるという物語。以来、皮を剥がれた人間は、芸術家の驕りを戒める意味を持つシンボルとして、さまざまな画家によって描かれてきたという。たとえばミケランジェロの《最後の審判》の一部には、皮を剥がれた人体像が描かれているが、顔の部分はミケランジェロの自画像といわれている。驕れる芸術家は皮を剥がれるのだ。

ミケランジェロ最後の審判》部分
https://bitly.com/H3kO0R


 そして「パトロネ」の主人公姉妹も写真部の部員という、表象に関わる人々として描かれている。写真のフィルムは光によって感光し、外界をあるがままに表象する。こうした表象に関わった代償であるかのように主人公は皮膚を病み、皮膚科で診察を受けることになるが、この皮膚科の名前はなんと「かわはぎ皮フ科医院」というのだ!


 このほかにも本作では、皮膚とフィルム、写真と複製の問題が入り乱れており、それぞれが鏡のように反射しあう構成になっている。まさに『鏡と皮膚』の小説版といったところで、美術、芸術学関係の方は是非お読みになるが吉かと思う。もちろん単純にホラーとして読んでも抜群に面白い。お薦め!

藤野可織『パトロネ』
http://www.amazon.co.jp/dp/4087714446


『女優霊』
http://www.amazon.co.jp/dp/B003RRDCVC


谷川渥『鏡と皮膚―芸術のミュトロギア』
http://www.amazon.co.jp/dp/448008634X


 ちなみに、皮膚って日に焼けるから、つまりは感光するんだよな。ということは、皮膚というのは非常に精度の悪いフィルムであるとも言える。そういう含意も『パトロネ』にはある。(2013.11.1補筆)