純文学のラノベ化?
今日はふと思いついて、ゼロ年代のラノベブームの話を授業でしてみた。こないだ読んだ飯田一史さんの本の影響もあるのだけれど、今月号の『すばる』で読んだ、島田雅彦さんのインタビューに触発された部分は大きい。島田さんは最近『英雄はそこにいる』という新刊を出されていて、これが実はいわゆるヒーローものなのだという。「現代文学でヒーローもの!?」と言われそうだが、それでもやるのだ、と。
島田雅彦『英雄はそこにいる』
http://www.amazon.co.jp/dp/4087714497
この作品は未読だけれど、既刊の『カオスの娘』の続編にあたるらしい。この『カオスの娘』がまた無茶苦茶に面白くて、シャーマン探偵と連続殺人犯の対決の物語。殺人鬼に取り憑いているのは、なんとデイトレーダーの怨霊だ。 無敵のヒーローとか絶対的な悪とかいった等身大でない人物は、基本的には20世紀の文学では禁じ手だった。そういうものを堂々と復権させようとしているところに、何やら純文学のラノベ化のようなものを感じて、ゼロ年代におけるラノベと一般文芸の接近と重ねて論じた。
島田雅彦『カオスの娘―シャーマン探偵ナルコ』
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残念ながら島田さんのシャーマン探偵はラノベに出てくるような「俺tueee」的人物ではなく、いちおう修業期間が設定された「昭和型ヒーロー」。ただしシャーマンの末裔とされているあたり、たぶんにラノベ的設定ではある。これは単に勘だけど、こういうタイプの作品は今後増えてくるんじゃないかと言う気がする。つまりもともとハードコアな純文作家だった人が、アニメ的リアリティーを持った特権的人物を主人公に据え、バトルものを書くといった事態が。いまのところ勘でしかないけど。