谷川渥さん『肉体の迷宮』とわたくし

 谷川渥さんの『肉体の迷宮』(2009)が、ちくま学芸文庫に収録されるとのこと。これは嬉しいニュースですね。この機会に買おうかなと思ってます。恥ずかしながら図書館で済ましてたものですから。

谷川渥『肉体の迷宮』
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 谷川渥さんが『肉体の迷宮』で書いてらっしゃるのは、西洋美術の歴史を追って行くと、どうしても「肉体」というものに突き当たってしまう、ということ。逆に言うと日本の美術には肉体性がきわめて希薄だ、ということなんです。実は私はこの本と非常によく似た趣旨、というかほとんど同じことを、この本が出る直前の2008年に書いてるんです。このテクストは下記の本の私の連載欄で読めますので、ご興味をお持ちの方はお手にとってご覧になってください。

トーキングヘッズ叢書 35号
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 私のテクストはオーストラリア出身のロン・ミュエック、日本出身でドイツ在住の塩田千春という二人の美術作家を論じたもの。ロン・ミュエックは肉体そのものに、ものすごい超絶技巧的で迫る作家なんですが、その作品には実は日本人のたいへん多くの観客が拒否反応を示すんですね。しかも一般のお客さんだけでなく、かなり高名な批評家や美術作家でも、ミュエックへの拒絶反応を示す人が少なくない。逆に塩田千春さんは肉体の不在、あるいはその痕跡をテーマにした作家なんですが、意外なくらい日本人の伝統的な「痕跡恐怖」の感覚に基づいているんですね。


 上記テクストはもうすぐ出る予定の単行本に、大幅に改稿して載せる予定でいるんですが、私はこのテクストのなかで、同じことをホラーを材料にして考えていたんですね。神戸学院の子には授業で言ったけど、西洋、特に米国のホラーと日本のホラーを比べると、向こうのホラーは「生ける死体」が中心で、逆に日本のホラーには肉体を持たない幽霊ばかり出てくる。同じことを谷川さんは、まったく違う例から『肉体の迷宮』で指摘しておられるんです(実際、逆にビックリするくらい事例は重なっていない)。


 ですので『肉体の迷宮』をあとで知って読んだとき、椅子から転げ落ちそうになりました。「自分と同じこと書いてる!」と。同じ山に逆の方向から登ってて出会ったみたいなものですね(先方は頂点をきわめて下山の途中、こちらは三合目までやっと辿り着いたばかりという感じですが)。しかも向こうから登って来たのが『廃墟大全』や『鏡と皮膚』の谷川さんなんですから、嬉しくないはずがない!


 私はいまだに谷川さんとは一面識もないのですが、この体験は「モノを書いてるとこういう幸せがあるんだな」と感じた瞬間で、いまでも新鮮に覚えています。それが文庫になってより身近になるのは、また嬉しいもの。皆様におかれましてもこの機会に是非ご一読いただけたらと思っています。