美学会:寺山、コクトー

 昨日は京都大学で開催された美学会へ。実を言うと美学会にお伺いするのは生まれて初めて。発表は二本立てで、寺山修司を対象にしたものとコクトーを対象にしたもの。どっちも好きだし共通項の多い二人なので、とても楽しく伺いました。


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 最初の発表は寺山さんの『盲人書簡』を対象にしたもので、京大のイヴァン・ディアズ・サンチョさんの発表。サンチョさんはスペインから来られた方。寺山が後年に起こした「覗き事件」の弁護をしたくて、彼の作品に出てくる「覗き」の意味を捉え直そうとした、とのこと。おおまかにいうとサンチョさんの論旨は、寺山作品における覗きが決してエロティシズムを目的としたものではない、というもの。彼の作中でマッチを擦っても浮かび上がるのはエロティックなものであるとは限らない。下手をすると霧の深い海だけだったりする。なるほど。


 個人的には彼の覗きは、彼のある種の権力志向と結びつきが深いような気がする。私の場合、寺山さんが亡くなって以降の90年代初頭に、演劇実験室「万有引力」の公演で、完全暗転と「マッチすり」を体験しましたが、あれは実際に体験すると本当に怖いものなんですよね。そういう恐怖に観客を突き落としたいという寺山の欲望が、完全暗転には透けて見えるような気がする。実際、彼は事件になった時以外にも幾度か覗きで拘束されていて、萩原朔美さんの本にそのことが生々しく書かれている。あと、天井桟敷にいた昭和精吾さんから直接伺った話だけど、寺山には劇団員の私物を開けて覗く趣味があったらしい。同性、異性関係なく。


 そういう意味で、通常のエロティシズムの枠内で彼の覗き志向を理解するのは確かに難しい。彼の覗きはもっと異様なもの、他人に対する支配欲のようなものと結びついてそうな気がします。自分は暗闇のなかにいて、相手だけをマッチで照らして観察したいという、パノプティコン的な欲望ですね。でもこれ、確かに狭義のエロティシズムには収まらないかもしれないけど、もっとタチの悪い欲望かもしれないなあ……などと思ってみたり。やっぱり寺山さんは面白い人ですよね。困った人でもあるのだけど!


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 いっぽうコクトーを論じた発表は、阪大の水田百合子さん。なかでもオルフェウスを扱ったものが水田さんの発表の中心でした。自分がコクトーの映画見たのって学生の頃で、そのときは現在から見ると稚拙な特撮に笑ってしまって、テーマ的な部分が全然頭に入らなかった。いま改めて振り返ると、ギリシャ神話とコクトー自身の自伝的な部分との間を往還するような構造になってて、確かに面白いですね。


 オルフェウスは地獄から妻を取り戻そうとして失敗して、ショックのあまり女性に興味を示さなくなり、怒った女たちに八つ裂きにされたという話があります(バリエーションは多数あり)。コクトーは同性愛者だったので、きっとオルフェウスの運命に自分を重ねて見たんでしょうね。でも、いまなら同性愛者になっても腐女子たちが喜んでくれるので、八つ裂きにならずに済むかもしれませんが。


 コクトー版オルフェでは鏡を通じて地獄に行くことになってるのですが、このあたりも確かによく考えると意味深長ですね。異性愛と同性愛のあいだの関所のような場所が、鏡に映ったナルシシズムという独特の構図がそこにはある。自己愛を通じて異性愛と同性愛が交錯しあうという不思議なイメージ。でもこれ、実際の同性愛の方から見ると、このあたりどうなのでしょうか。私はヘテロなのでどうしても鏡の向こうには入っていけないものを感じます。ちょっと悲しい話ですが、こればかりは仕方ありませんね。


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 そんなわけで、ふだんは出入りしない学会なるものにお邪魔してきたわけですが、意外に楽しかったです。入場も無料ですし、こういう質の高いものがタダで聞けちゃうって、なんておトクなんだろうと(笑)。今後ともちょくちょくお邪魔したいと思っています。楽しかった!