アートコートギャラリー、澤崎賢一さん
昨日はアートコートギャラリーに行ってきたのですが、なかでも澤崎賢一さんの作品が非常に気になりました。戦争をテーマに扱った作品で、どちらかといえば納得の行かない印象を受けたのですが、私の場合はこういう感情的反発から作家との関わりが生まれることが多々あって、ときにはまったく評価が逆転する場合もあります。たとえば同じ戦争を扱った中ハシ克シゲさんの場合がそうで、最初は非常に強い反感を抱いたのですが、数年間見続けるうちに納得して、最後は通い詰めるところまで行きました。なので、以下に書くことは一つの「経過報告」のようなものとお考えいただけると幸いです。
なんでも澤崎さんのおじいさんは人間魚雷の開発者だったのだそうです。そのせいかどうなのか、澤崎さんは子どものころから、理由のない海への恐怖を感じていたのだといいます。出品作品の一つの映像作品では、人間魚雷をめぐるおじいさんの逸話と海への恐怖、そしてそこから連想された、船乗りを海に引き込む怪物の逸話の三つが取り混ぜて描かれ、その合間あいまに「海の怪物」の絵を描く作家自身の姿がインサートされていきます。
何が引っかかるのかというと、人間魚雷の話と海への恐怖と海の怪物の話は、本来それぞれ別の話であって、因果関係では結ばれていません。なのにこの映像作品のなかでは、軍服に鉄兜で歩兵銃のように絵筆を持って、海の怪物を描く本人の姿が映され、銃弾の響きがそこにかぶされるのですね。最後に怪物の絵を描き上げたあと、煙草の「PEACE」を吸う作家の姿が映ってこの映像は終わります。どうにも私には、すべてがちぐはぐというか、すれ違っている印象が残ります。
作家がここで描き上げるのは、海の怪物の絵であって人間魚雷の絵ではない。一言で言うと、海の怪物に感じるファンタジーへの「修飾語」のようなものとして、おじいさんの人生や戦争というテーマが使われているように、私には見えてしまうのです(言葉がキツかったらすいません)。また、作家が幼い頃に海を恐れた理由が、本当に海の怪物にあったのか、これも私には疑わしく思えます。海に怪物がいると本当に信じていたのか、その怪物と人間魚雷の関係はどうだったのか、いまひとつ迫りきれていない印象が残ります。
この展示では人魚に扮した作家自身のポートレイト写真も展示されていて、そこには《人○魚○》というタイトルが附されているのですが、それでいいのかなと思います。映像の最後の「PEACE」といい《人○魚○》といい、語呂合わせで作品が強引に閉じられてる印象が残ります。おじいさんの人生にも作家自身の人生にも中途半端にしか迫っていなくて、ダジャレで無理矢理まとめている。しかも完成させた海の怪物の絵は展示されていない。どうもテーマから逃げている印象がつきまといます。もちろん、そうしたある意味での不徹底ぶり、テーマとのすれ違いこそがテーマなのだという主張もあり得るのですが、だったらどうして「PEACE」なんか最後に出して、きれいにまとめようとするのだろう。そんな疑念が脳裏から離れません。
そんなわけで非常に批判がましいことを書いてしまって恐縮なのですが、最初に記した通り私は同じ作品を数年かけて幾度も考え直すタイプの人間ですし、澤崎さんが扱っているテーマも非常に魅力的で、さまざまな示唆に富んでいると思います(テーマの決定できなさというテーマについても)。戦争というのは重いテーマで、一回こっきりで終わるようなものではないと私は思います。これ一回で終わりにせず、もっと長く取り組んで欲しいと思います。