テートモダン館長クリス・デルコンさん「美術館の価値はグーグルで検索できないこと」

 昨日は京都国立近代美術館に、クリス・デルコンさんのトークを聞きに行きました。デルコンさんはロンドンにある美術館、テートモダンの館長さん。テートモダンは使われなくなった発電所の廃墟を再利用した国立美術館で、年間530万人を動員するモンスター級の美術館です。ちなみに東京ドームは満杯でも4万5千人、年間試合数が67試合。仮に全試合満席になったとしても300万人で、テートモダンの動員はそれをも凌ぐ。一体なぜこんなに人気があるのでしょう。


 面白いことにテートモダンで観客にアンケートを取ると「エステティック(感覚的、審美的)な刺激を求めて来た」という人は意外なくらい少ないそうです。それより「ソーシャルな刺激や出会いが欲しくて来た」という人が半数近くにのぼる。美術というと一人で見るものという印象がありますが、それとはずいぶん違っています。というのもテートモダンではカフェやレストランで観客たちが勝手に作品を論じあってて、来場者は半ばそっちが目的で来るんですね。


 そんな彼らのモットーは「グーグルで検索できないこと」だそうです。つまり「個別の作家や作品の情報はグーグルでどうぞ、でもウチなら『あなたが作品に感動する理由』を探すことができます」、というわけです。偉い作家先生の名前を暗記させられる「お勉強」の場ではなく、各自が人生の悩みや問題点を、作品を通じて考える場というわけです。


 古代ギリシャアテナイにあったアゴラ(市場)では、ソクラテスがお客に哲学談義を吹っかけて回ったそうですが、テートモダンのモットーは、これに似た発想かもしれません。あるいは龍安寺の石庭を見ながら、各自が自分の人生を振り返る、とかね。デルコンさんはこうした美術館のあり方を「ソーシャル・コレオグラフィ(社会的な振り付け)」と呼んでいます。プロのダンサーみたいに整然とは踊れないけど、各人各様の解釈で踊り出す、その舞台が美術館だというわけです。


 もちろん日本でもそれに近い試みは始まっています。たとえば昨年、大阪の国立国際美術館では工藤哲巳という非常に前衛的な作家の展覧会がありましたが、その会期末に開かれたオープンマイクの集会がそうでした。この集会ではなんと企画した張本人の学芸課長がその場にいるのに、さっさとマイクを来場者に渡してしまった。「偉い先生のお説拝聴」ではなくて、ごく普通の市民が「あの作品は何なんだ」と、本当の素で論じあったんですね。すると驚いたことに、みんな結構喋るんですよ。「自分が思った工藤哲巳」を、てんでバラバラに語り出した。これをテートモダンでは全館一致、年中無休でやってるんですね。


 「ソーシャルな価値を提供する場所としての美術館」というアイデアは、今後の美術館にとって不可欠だと思います。「誰にも価値はわからないけど傑作だから税金で支えろ」というのでなく、「ここは市民にとっての出会いの場、駆け込み寺として機能しますから支えてください」というプレゼンテーションは非常に強いと思います。今後の美術館のあり方を示す、非常に力強いプレゼンテーションだったと思います。