「何かがおこってるⅡ:1923、1945、そして」

 竹橋の東京国立近代美術館でやってる収蔵品展「何かがおこってるⅡ:1923、1945、そして」、これがかなり鬼気迫るものだったのでお知らせしておきます。最初の部屋は原田直次郎の《騎龍観音》とか岸田劉生切通の絵とかがあったりして「お宝展示」という色彩が濃いんですが、その次の部屋からが特集展示になっていて、関東大震災にまつわる作品から幕を開けるんです。基本的には関東大震災以降の近現代美術を振り返るものなんですが、見るうちにいまの日本の状況に、どんどんオーバーラップしてくるんですね。

「MOMATコレクション」
特集「何かがおこってるⅡ:1923、1945、そして」
東京国立近代美術館 2014年6月7日(土)〜8月24日(日)
http://www.momat.go.jp/Honkan/permanent20140607.html


 展示は次の部屋では関東大震災後、30年代あたりを振り返るものになるんですが、ここでは時代に漂う閉塞感を「眠り」というキーワードで括って、美術作品の中に探っていく。その次の部屋では子どもたちが「少国民化」していく過程、さらに戦争画と展示は続いていく。震災後に急激に右傾化を強めていく過程が、美術作品から見事に読み取れるんですね。


 展示はこのあと戦後の動乱の作品に移っていくんですが、そこでは山下菊二の社会派ドキュメンタリー幻想絵画(としか言いようがない)《あけぼの物語》を中心に戦後美術の状況を示したあと、万博当時の「ライト・アート」、つまりは70年代の史上空前の経済発展へと移っていく。ただし、その万博期の作品のすぐそばには、原発賛美のポスターが展示されているんです。実は万博って日本で初めて、商用原子炉で発電した電気が使われたイベントで、この展示からはそうした暗示を感じざるを得ないんですよね。


 このほかにもいろいろと展示は続くんですが、最後のところはChim↑Pom、村越としやさん、藤井光さんといった、いわゆるポスト311関連の作品で終わっている。こうして見ると、否が応でも震災から始まる歴史の循環みたいなものを感じざるを得ない構成なんですね。都現美で開催中の「95年展」でも神戸の震災を描いた作品がわずかに展示されていますが、竹橋の「何かがおこってるⅡ」は「95年展」と表裏一体の関係にあると思います。


 そんなわけで同展は、都現美の「95年展」で美術館のコレクションという行為について興味を持たれた方にはお勧めですし、また美術だけの問題を超えて、昨今の政治状況や言論状況について考える皆さんに、是非ご覧いただきたい展示だと思います。ともあれいろいろ考えさせられるところは多いです。何より国の機関がこうした展示を行っているというところは非常に重要かと思いますね。


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 ちなみにこの展覧会、阿部合成という人の《見送る人々》という作品を頭の片隅にメモしておいて見ると、なお楽しめると思います(楽しめるというか、もっと怖くなるかもしれませんが)。竹橋では《見送る人々》は収蔵されていないので、阿部合成のほかの作品が展示されているのですが、キャプションでは《見送る人々》について言及されていて、本当はこれを展示したかったんだろうなあという感じが非常に強く伝わってきます。是非ご記憶の上ご覧を。

阿部合成《見送る人々》
http://ginyou.blog123.fc2.com/blog-entry-376.html