アバター

話題のジェームズ・キャメロン監督の映画、アバターを見てきたので、感想を一言二言。

★3Dについて
前半は目が痛くて仕方なく、慣れるのに30分くらいかかった。特に面倒だったのが、なぜか字幕が飛び出して見えること。字幕を読むたびにピントを合わせなくてはならず、見づらくてしょうがなかった。吹き替え版を推奨する。ただし、前半部のストーリーの進み方は非常に緩慢なので、最初の方で注意力が散漫であっても、さして問題は感じなかった。

不思議なことに、見ている間じゅう、急につまらない映画に思えたり、やっぱり面白く思えたりという、激しい起伏を感じた。3Dって右目と左目で一コマずつ切り替えて見せる仕組みらしいけど、それと関係あるのかな。俗説によると、右脳はイメージ、左脳は論理を司るらしい。その伝でいくと、3D映画を見ているときは、12分の1秒単位で論理的解釈とイメージ的解釈を切り替えながら見ていることになるので、それとなんか関係あるのかな、とか思ったり。にもかかわらず、慣れてくるに従って、今度は逆に3Dであることを、さほど意識しないようになって、最期は普通の映画を見てるのとほぼ同じ感覚になった。人間の脳って、慣れるの意外に早いんだなぁ、とか思ったり。ともあれ、興味深い体験ではありました。

★パクリの羅列
実にさまざまな映画史的記憶の綴れ織りで、オリジナルな発想の方が少ないにも関わらず、それなりに最期まで退屈せずに見られる。何よりもまず自己模倣が多い。そもそもシガニー・ウィーバーが登場するところから「あ、こりゃエイリアン2からの自己カメオ出演だな」と思わされるし、エイリアン2に出てくるパワーローダーふうのロボットが歩きまわり、ターミネーターに出てくるスカイネット無人爆撃機そっくりのヘリが飛び回るのだから、もはやなにをかいわんや、という感がある。

物語の大枠は、ラスト・サムライとほぼ同一で、舞台を江戸時代の日本から、見知らぬ宇宙の惑星に変えただけ。宇宙人が馬に乗って攻めて来る場面は往年の西部劇の数々を連想させるし、惑星に生える奇妙なキノコ類は、往年のSF映画、地底探検のバージョンアップしたものに見える。主人公が翼龍に乗って大見得を切るあたりは、これはロストワールドの名場面そのまま。主人公が銃を取って立ち上がり、演説をするあたりのシーンは、インディペンデンス・デイからの頂きだろう。終盤からラストにかけてのくだりは、宮崎駿のアニメを連想させる。もののけ姫あたりが念頭にあったのではないか。

★西海岸的サイバー自然主義
アバター」と呼ばれる有機ロボットに、意識をログインさせて動かす、というのが、この映画の基本設定。ところが、アバターにログインしたあとで、主人公はさらに「あるもの」に有機的にログインする。要するにログインが多層構造になってるわけで。で、そのログインするアクセス先なんだけれども、これが惑星全体を覆う、有機ネットワークのようなもの、という設定になっている。ハイテクを介して自然にログインしていくという発想は、80年代ごろの西海岸サイバー的な感覚に近い。非常に面白いんだけれども、なんだか妙に引っかかるところがあって、なんだかなぁ、という気がした。この「なんだかなぁ」をうまく言葉にできればたいしたものなんだが、いまのところうまく言葉にならない。ご覧になって各自判断されるのが良いのではないでしょうか。