アナログテレビ終了
昨日は地デジ完全移行の日でしたが、地デジ移行というより「アナログ終了」というニュアンスが、ネット上には色濃く漂っていました。この日は「テレビの新生の日」としてではなく、「テレビ時代の黄昏の日」として記憶されるのかもしれません。かつて娯楽の王様だった映画がテレビに取って替わられたように、テレビもその王座をいま、ネットに明け渡そうとしているのでしょう。
自分は本当に朝から晩までテレビ見てるテレビっ子だったので、テレビへの愛着は結構強いですが、ネットに渦巻く声のなかには、そうしたテレビへの愛着のようなものは感じられません。むしろ憎悪や軽蔑の方が色濃い。実際、秋葉原では昨日、アナログ放送終了に合わせ、アナログテレビのお葬式をしていたそうですが、どこか揶揄的なものを感じます。
アナログテレビのお葬式
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かつてテレビの人たちは、いまのネットと同じように、旧世代のメディアである映画から、さんざんな嘲笑や悪罵を浴びました。ところがテレビの人たちは、映画へのコンプレックスを隠そうとせず、必死で映画に匹敵する何かを生み出そうとした。テレビを牽引した原動力は、反面ではテレビというテクノロジー、そしてそれが生み出す俗悪さでしたが、反面においては舞台や映画といった旧世代の芸術に対する憧れによって、そのエネルギーを得ていたように思います。
私にとってのテレビとは、そうした芸術と俗悪の両方に引き裂かれた、奇妙な視覚空間でした。テレビという言葉から私が即座に連想するのは、多くの「有害番組」です。コント55号の何でそうなるの。8時だヨ!全員集合。欽ちゃんのドンとやってみよう。ゲバゲバ90分。吉本新喜劇の舞台中継。そうした俗悪さはけれどもどこかで、博多淡海や藤山寛美の舞台中継の芸術性と、いつも背中合わせでした。
テレビには見世物小屋の匂いが、いつもどこかにありました。超能力者、ユリ・ゲラー。人と猿の中間の生物、オリバー君。アントニオ猪木対モハメド・アリ。つまりは「虚業家」康芳夫の仕掛けた数々のスペシャル番組。「あなたの知らない世界」で心霊研究家として登場する新倉イワオが、実は「笑天」の構成作家であるといういい加減さ。11PMやクイズダービーにおける大橋巨泉のうさんくささ。矢追純一のUFOスペシャルのでたらめさ加減。土井まさるのTVジョッキー。加藤芳郎のウイークエンダー。水の江瀧子の「独占!女の60分」。大木凡人の指し棒芸。なんという俗悪なメディアだろうか!
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けれども一方でテレビは、紛れもない芸術作品をいくつも私たちに見せてくれました。向田邦子の脚本。山田太一の脚本。久世光彦の演出。和田勉の演出。鴨下信一の演出。ウルトラマンの金城哲夫脚本、ウルトラセブンの実相寺明男演出。太陽に吠えろの松田優作。1983年のスペシャルドラマ、熱帯夜における松田優作と桃井かおりの共演。神代辰巳監督、岸田理生脚本による火曜サスペンス劇場の名作「愛の牢獄」。
そしてその源泉にあったのは、やはり映画という第七芸術への憧れだったように思います。小池朝雄のコロンボの吹き替え。山田康夫のクリント・イーストウッドの吹き替え。納谷悟朗のチャールトン・ヘストンの吹き替え。月曜ロードショーの荻昌弘による辛口な解説。水曜ロードショーの水野晴雄の解説。ゴールデン洋画劇場の高島忠夫の解説。いま思えばテレビの不幸は、映画や舞台のように批評家や解説者を持ちえなかったところから始まったのではないでしょうか。
誰もテレビを真剣には論じなかったし、誰もテレビを弁護したり、誉めたたえたりしてこなかった。それが今日におけるテレビへの憎悪に近い感情につながっているのかもしれません。今わたしの脳裏には、日曜洋画劇場の淀川長治の解説がこだましています。サヨナラ、サヨナラ、サヨナラ。