閨秀2.0のまとめ
京都、百万遍の思文閣会館を拠点とする企画グループ「CAVE」からのお誘いをいただき初のキュレーションを担当、グループ展「閨秀(けいしゅう)2.0 複数のベクトル、あるいはキャットファイト」を開催いたしました。CAVEの森山貴之さん、長艸真吾さんのお二人、ギャラリーメゾンダールの森山牧子さんのご協力を得て実施し、おかげさまで好評のうちに閉幕いたしました。
●展評掲載
『毎日新聞』『おかけんたブログ』前編
http://blog.livedoor.jp/okakenta_mangekyo/archives/51673916.html
『おかけんたブログ』後編
http://blog.livedoor.jp/okakenta_mangekyo/archives/51673915.html『日刊サイゾー』
http://www.cyzo.com/2011/10/post_8953.html
●展覧会情報掲載
『TH』『美術手帖』『週刊金曜日』『Lmaga.jp』『上田安子服飾専門学校 ニュース&トピックス』『VOBO』『インビジブルハンド』『京都アートワーズ』『Clippn' Jam』『カロンズネット』ほかツイート、リツイートなど多数
最終日は閉幕直前まで来客が引きも切らず、来場者には国公立の美術館学芸員多数、美大、芸大関係者のほか、芥川賞作家の方にまでおいでいただきました。動員は芳名録に残っているだけで450名。控えめに計算しても、実際には600名前後の動員があったんじゃないでしょうか。また、事前情報が美術手帖ほか多数媒体に、展評が毎日新聞に掲載され、批評的にも成功裏に終わりました。動員面、批評面ともに高い評価を頂いた展覧会となり、本当に感謝しています。ご協力いただいた皆様、本当にありがとうございました。
ごあいさつ
本展「閨秀(けいしゅう)2.0」では現代美術作家を中心に、オタクシーンやサブカルチャーなど様々な文脈、分野から集まった、6名の女性アーティストをご紹介いたします。
まずは鮮やかな色遣いと大胆な筆致で、動物や子どもたちの油彩画を描いてきた、油彩画家の栗田咲子。画題はなごやか、だがどこかいびつで奇妙な肌触りを持つ具象画を描いてきた栗田は、国立国際美術館での出品経験もあるキャリアの持ち主。近年はその作風の変化に注目が集まります。
ついで中堅勢からは、FM局主催のアーティスト発掘プロジェクト「digmeout exhibition」から登場し、自意識の内部が顔面で炸裂したかのような少女像を描いてきた中田有美。そしてコミケなどサブカルチャーの分野で活躍し、実際に装着できる口枷を制作してきた口枷屋モイラをご紹介します。
また本展では、大学院修了後間もない新人勢もご紹介します。まずはイタリアの地下墓地「カタコンベ」や日蓮上人の像など、宗教的な幻想絵画を描く尾家杏奈。遊郭に取材した写真を使い、インスタレーションを展開する高田智美。そして独特の美しさを持つ棘だらけの立体作品を作る、日本画出身の森文恵。いずれも個性派ぞろいです。
イチゼロ年代の女性による表現は多種多様で、単純なキーワードへの収束を許しませんが、同時に何か新しい時代の兆候のようなものも見て取れます。本展出品作家たちの見せる多様な表現に、どうぞご注目よろしくお願いいたします。
口枷屋モイラ展示風景【企画者コメント】口枷屋モイラさんはその名の通り、口枷(くちかせ)、つまり人間の口にはめるための一種の拷問器具を作っている女性です。口枷には写真にある通りのアヒル型、額縁型などのほかに様々な種類があり、口枷をした状態でのセルフポートレート作品も数多く撮っています。
上に掲げているのはこうしたセルフ写真ですが、これは彼女自身の人格を撮っているのでなく、彼女が創り出した「口枷屋モイラ」という架空のキャラクターの肖像写真です。最近では「モイラちゃん」を主人公にしたアンソロジーを彼女自身が出版し、さらにはPixiv上でもその二次創作が出現するに至っています。
モイラさんの作品は、その作品そのものの魅力もさることながら、創作とコスプレ、二次創作の関係を巡る新しい方法論を示している点で、非常に魅力的だと思います。今回の展示では「モイラちゃん」を被写体にしたポートレートを中心にした展示を予定しています。是非ともご覧になってください。(樋口ヒロユキ)
高田智美展示風景【企画者コメント】高田さんはいわゆる旧「赤線地帯」をテーマに制作を続けている作家です。高田さんの作品は、遊郭、赤線の建物を撮影し、OHPフィルムに出力した布の写真を重ね、さらにそこに糸で刺繍を施して制作されます。
赤線というのはかつて公娼が営業していた地域の俗称で、遊郭の流れを汲むものもあります。赤線は制度としては1950年代の売春合防止法で消滅していますが、今日もいくつかの場所では密かに営業が続けられています。高田さんはこうした遊郭を訪ね歩き、写真に撮り、作品化しています。こうした場所の中には現在では営業を終えているものの、その歴史的な意義の観点から保存が行われている場所もあり、高田さんはそうした地域の自治体とも協力して制作を進めています。
彼女は大学院を修了して間もない新人ですが、卒展で見て「とにかくこの人は世に出さねば」という切迫した気持ちを抱き、展覧会の話が出る前からコンタクトを取っていました。是非ご覧になってください。(樋口ヒロユキ)
森文惠展示風景【企画者コメント】森文惠さんはご覧のようにトゲだらけの作品を作る作家です。一本一本のトゲの美しい曲線はもちろんのこと、それが小さなものから大きなものに、なだらかに変化していく独特のリズム感は、実際の自然の造形でもあるかのような、フラクタルな美しさをたたえています。また、写真では少しわかりにくいのですが、実物を見るとその表面は、岩絵の具と胡粉、ニスなどで丁寧に仕上げられていて、工芸品のように精妙な手触りを感じさせます。このあたりの肌理の細かさは、日本画出身の森さんならではのものだと思います。
森さんは先の震災でも大きな被害にあった八戸の出身で、そう言われて作品を良く眺め直すと、京都の伝統的な日本画や工芸作品の持つ精妙さとともに、縄文式の土偶や火焔土器のような荒々しい呪術性も感じられます。荒々しい「えびすぶり」と「みやびさ」の両者が巧まずして同居する「相反するものの一致」が、森さんの作品の魅力なのだと思います。(樋口ヒロユキ)
尾家杏奈展示風景【企画者コメント】2008年から尾家さんの作品を見ています。使う色や描き方はその時々で変わり、まだまだ模索中なのだと思いますが、尾家さんの頭の中を猛スピードで過ぎてゆく彼女にしか見えない景色を、決してそのスピードには追いつかない絵筆で何とかして描きあげるその姿勢は一貫しています。
描く対象がウサギであろうが、死んだイヌであろうが、友人の遺影であろうが、尾家さんにとってはすべて同じ。生も死も、時間も空間も同列に扱われ、混沌としながらも、収束に向かう。尾家さんにとって大事なことは、見えたもの、描きたいものすべてを描くという純粋で素直な欲望に尽きるのだと思う。こういう人を「天才画家」と言うのだろうと思っている。
「眠りに落ちる直前の、まだこちら側にある世界」を描きたいと以前教えてくれた尾家さん。あちら側ではない、この世界に潜む未知の世界を、これからもどんどん見せてほしい。その鋭い感性と粘り強さのお陰で、私たちは尾家さんの見た景色を垣間見ることができるのです。(森山牧子)
栗田咲子展示風景【企画者コメント】栗田さんの作品は、さらっと見る分には普通の絵画に見えます。私たちがふだん「普通の絵」「わかりやすい絵」と思っているのは、一点透視図法や解剖学的知見など、近代的なルールに従って描かれた絵画です。「現代美術はわかりにくい」とよく言われるのは、こうした近代のルールに従っていないからで、ピカソもダリも岡本太郎も、近代のルールを超えたところで仕事をしています。それでは栗田さんの作品は、近代と現代、どちらのルールに従って描かれているのでしょう。
栗田咲子さんの作品は、近代、現代どちらでもなく「現代絵画」のルールを知った上で、あえて「近代絵画」として描かれています。こうした不整合性は、画面のあちこちから覗いていて、見る者をとても奇妙な気持ちにさせます。こうした宙吊りの不思議さが、栗田絵画の魅力だと言えるでしょう。なお、10月末発売の『TH』(アトリエサード)48号に、栗田さんについての論考を執筆しています。本展と併せてご覧いただけますと幸いです。(樋口ヒロユキ)
中田有美展示風景【企画者コメント】中田はこれまで様々なモチーフが広がる顔のない肖像画を描いてきた。 それはこれまでの人生において家族、親族間の媒介者として無数のペルソナを冠って来たために分裂してしまった中田自身であり、いうならば肖像画を描くことによって中田は自身の所在を確認していたのである。だが中田は結婚を機に、自分のために描く肖像画から脱する。結婚によって、制度上中田は夫の戸籍に入り、新たに夫の世帯の構成員として属することになった。しかし中田はこの因習的な枠組みに収まったことによって、逆に自身の所在を再確認できたという。
今回、中田は自身を取り巻いて来た親族との関係史そのものを俯瞰すべく、神話をテーマに制作する。神話とは世界の創成をめぐる神々の物語であるが、一方でそれは人間の欲望や愛、憎悪や嫉妬といった、感情が擬人化された生のドラマである。 そして中田の描く神話とは、中田自身を形づくり規定してきたもの、より具体的には、陰惨とも言うべき中田の親族のドラマに他ならない。 つまり神話と個人史との構造的相似の内にある生の激しさが、中田作品の本質である。したがって、丹念に仕上げられた下地にきらめく細かいラメとその上に塗り重ねられるやや過剰な色彩は、いわゆる「女子性」とは関係なく、むしろ古今東西の神話世界がもつイメージの豊穣性に由来しているのである。(森山貴之)
「閨秀2.0 複数のベクトル、あるいはキャットファイト」ステートメント
「閨秀(けいしゅう)」とは学芸に優れた女性、転じて「女流画家」のことを指す言葉です。しかし実を言えば本展における「閨秀」の語は、単に企画者が「いま紹介したい」と思った作家が、たまたま全員女性であったというだけの理由から用いられています。
ある作家はさりげなく「女性性」を演じてみせるでしょうし、ある作家は「女性性」など最初からなかったかのごとく素通りして、普遍的な「人間」の視座に立つでしょう。ある作家は「女性性」のネガティブな面をあえて指し示すでしょうし、ある作家は男性の欲望やまなざしをあえて内面化してみせ、裏返しの「女性性」を演じてみせるでしょう。
それぞれの作家が「女性性」に対して示す立ち位置は、ある局面では交わり、ある局面ではすれ違い、ある局面ではねじれの位置にあるでしょう。ある意味で乱雑、あるいはキャットファイト的な乱闘状態にさえ見えるかもしれない、女性性をめぐる複数のベクトル。そうした運動の総体を、私たちは「閨秀2.0」と名付けました。
「閨秀2.0」に示される、女性性をめぐる複数の視座、そしてその破廉恥なまでの運動の方向性。そうした乱闘状態の運動をご覧いただければ、企画者としてこれに勝る幸いはありません。
「閨秀(けいしゅう)2.0 複数のベクトル、あるいはキャットファイト」
平成23年10月18日(火)〜11月6日(日) 12:00〜19:00 / 水曜日休廊 入場無料 レセプション:10月18日(火) 18:00〜 出品作家:尾家杏奈、口枷屋モイラ、栗田咲子、高田智美、中田有美、森文恵 CAVE(思文閣会館3FおよびB1F) 〒606-8203 京都市左京区田中関田町2-7 主催:CAVE 企画:樋口ヒロユキ、森山牧子 協力:digmeout、FUKUGAN GALLERY、Wada Fine Arts、乙画廊