子どもは現代美術の先生である

@rhinoeye 去年、阿修羅像を見て「あしゅらって、お口は三つあるけど、おしりの穴はひとつだから、たいへんだね」という名言を残した長女(8)は、先日、十一面観音像を見て絶句していた。


 昨日は神戸大の大学院が主催したシンポジウム「子どもとアートをどうつなぐ?」というフォーラムに行ってきました。いわゆる子どもへの美術の導入教育についてのフォーラムだったので、自分にとっては専門外。なかなか関わりにくい分野だったのですが、予想以上に面白かったです。子どもを美術館に連れてくることの意義への認識を改めました。子どもたちの方が大人より、現代美術を見るのが「うまい」というのです。

「アートマネジメント若手・学生フォーラムin 神戸2012
『子どもとアート、どうつなぐ?−日独芸術教育の事例から考える−』」
3月19日(月)14時〜、於・KIITO


 フォーラムにはゲストとして金沢21世紀美術館の秋元雄史館長がお見えになってて、金沢21での普及事業の様子をスライドで拝見したのですが、これが非常に面白い。子どもたちが美術館に来ると、とにかく触ったり笑ったり寝転んだりして、ものすごくリラックスしながら作品を楽しむんですね。で、それが周囲で見ている大人にとって非常に良い効果を与える。冒頭に掲げたツイートは現代美術でなく古典美術ですが、これなんかはその最たる例です。とにかく大人の予想を超える反応を示してくる。


 現代美術はわからないとよく言われますが、子どもも大人も作品がわからないという条件は同じ。ところが同じ「わからないもの」を目の前にしても、大人は表情が険しくなって来るのに対し、子どもは笑ったり遊んだりして接する。これを見て大人たちもだんだん表情が変わって来るのだというのですね。これは実際に自分が金沢21世紀で体験した気持ちを言い当てられたような気がして、なるほどと膝を打ちました。金沢21は非常に子どもの導入教育が盛んな美術館で、とにかく館内に子どもが多い。そうした子どもたちと一緒に館内を回るうち、なぜか楽しくなるんです。


 大人は「わからないもの」に接すると、怒ったり不愉快になったりする。ところが子どもというのはほぼ24時間「わからないもの」に接している。つまり彼らは「わからないもの」のプロなのです。なので不可解なものに直面してもすぐに適応して、それで遊んだりはしゃいだりできる。つまり子どもへの導入教育や普及事業というものは、半分は子どものためではありますが、それ以上に大人にとって役に立つ、というか子どもから現代美術の見方を教えてもらう貴重な機会であるというわけ。これはまったくその通りで、目からウロコが落ちた思いでした。


 私は実は現代美術に限らず、芸術というものの半ば以上は「わからなさを楽しむ」ものだと思っています。実際いまだによくわからない作品もいっぱいあります。ただ同じ「わからない」作品でも、作品Aのわからなさと作品Bのわからなさは違う。それぞれのわからなさを楽しむのが美術じゃないかと、私はそう思っています。そういう意味で「わからないもの」のプロたる子どもからは教えられるところが多いですし、実際一緒に回っていると、とても楽しくなることがしばしばです。今後何か機会があれば、普及事業の現場も見学に伺いたいなと思っています。