伊勢神宮についてのエッセイ

今日は伊勢神宮にかかる宇治橋の、渡り初めの儀式があったようですね。伊勢神宮へはこの春、たまたま思い立って参詣したのですが、そのときのことをまとめたエッセイを、アトリエサードの『TH』巫女特集の号に書いています。

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伊勢神宮と言えば、批評的文脈でまず思い出されるのは、建築家の磯崎新さんが説いた「始原のもどき」論ですよね。確か斉藤環さんも磯崎さんの論を引用して、どこかに伊勢神宮論を書いておいでだったような気がします。あれは美術手帖の連載だったかな? ちょっと記憶が怪しいですが。

私は常々、あの磯崎さんの論は、三島の文化防衛論に瓜二つではないかと思っていて、そのいずれもが私にとっては不満であったため、『TH』ではそのことについて書いています。要するに磯崎であれ三島であれ、どういうわけか伊勢が女神であること、それが皇祖神とされていることの不思議さ、矛盾をまったく見ようとしていない、という不満です。

また、実際に伊勢を訪れた方ならおわかりになると思いますが、伊勢というのは美しいだけでなく、非常になにか恐ろしい、峻厳なものを感じさせる場所です。その不思議さ、奇妙なまでの恐ろしさは、何に由来しているのか、そのあたりについて書いています。是非お手すきの時にでもお読みになってみてください。