すべての僕が沸騰する—村山知義の宇宙—

 自分が村山知義の名前を知ったのは、1982年に出た巻上公一さんのアルバム「民族の祭典」が最初だった。このアルバムに収められてる「マヴォの歌」ってのがそれで、村山率いるマヴォグループという前衛的グループの、団歌みたいなものである。一体何語かさっぱりわからない珍妙な歌で、そのときは「ケッタイな戦前の芸術家」というイメージしかなかった。

マヴォの歌」http://bit.ly/HjQD2u


巻上公一「民族の祭典」http://amzn.to/HnriXl


 その次に村山の名前と出会ったのは1988年、兵庫県立近代美術館で見た「1920年代日本展」という展覧会。未来派とか構成主義とかがどっと日本に雪崩れ込んで来たのが1920年代で、この展覧会はそうした20年代の文化を回顧するもの。ところがとにかくどのページを繰っても村山知義という名前が出て来る。なんだこれ、スーパーマンかと思ったくらい。とにかく20年代文化の仕掛人みたいな人だな、というのがそのときの印象。


 で、今日見て来た展覧会で知った村山の全貌は、その予想さえ超えていた。画家、ダンサー、劇作家、演出家、舞台美術家、宣伝美術家、小説家、俳優、絵本作家、建築家、美術評論家、演劇評論家。たとえばカンディンスキー論を日本で最初に発表したのは村山知義(世界で二冊目らしい)だし、吉行あぐりの美容室を設計したのも彼。雑誌『テアトロ』の中心人物で表紙デザインも手掛けていたし、『のらくろ』の田河水泡を前衛美術に一時期引っ張り込んだのも彼らしい。一体幾つ肩書きがあるのかわからない。


 トレードマークは夫婦揃っての前髪パッツン(真ん中の写真左、しゃがんでいる方の人物が村山)。周囲がこぞって真似をしたというから、いわばファッションリーダーでもあったわけだ。ダンスの分野だと山海塾のほぼ半世紀前に宙吊り舞踊をやった人で(左の写真)、自分自身もダンサーとして踊った。あの寺山修司だって自分自身ではダンスはやってないわけで、彼のマルチぶりの凄まじさが伺える。



 おまけに単著だけで60冊以上あって、児童文学もあれば剣豪小説も美術論も演劇論もなんでもあり。もうほとんどモンスター級の人物で、一回の展覧会ではとうてい全貌を把握できない。展覧会と全集の刊行と演劇祭とフィルムフェスティバルを同時にやって、どうにか全貌が把握できるだろうといった具合。この展覧会だけでも3年がかりだったそうだから、今後まだまだ未発見の資料とか意外な発見は相次ぐだろう。ともあれ「村山知義」という個人名を冠しての展覧会はこれが初。巨人の全貌の一端がやっと見え始めて来た、と言ったところか。

すべての僕が沸騰する—村山知義の宇宙—
平成24年4月7日(土)〜5月13日(日)
http://www.momak.go.jp/Japanese/exhibitionArchive/2012/390.html


 ちなみに会期中には、やなぎみわによる演劇プロジェクト「1924 人間機械」の上演もあり。期待。

やなぎみわに演劇プロジェクト「1924 人間機械
4月13日(金)〜15日(日) 各日午後6時開場
京都国立近代美術館1階ロビー
http://www.yanagimiwa.net/