佐藤弓生さん歌集『薄い街』

歌人佐藤弓生さんから、歌集『薄い街』をご恵贈いただきました。 私が感じるところのあった歌を、ここにご紹介しておきます。
http://amzn.to/fbpN3g

「コラージュ・新世界より

雨。こめかみにふりかかり見あげれば桜のあばらあらわなる冬

ひとりまたひとり幼い妖精を燃やす市あり夜と呼びたり

ひとのためわが骨盤をひらくとき湖(うみ)の底なる浴槽はみゆ

花器となる春昼後刻 喉に挿すひとの器官を花と思えば

もう声が出ないわたしの頭(ず)の上をまたいでゆきぬ青空紳士

ひらいたらただただしずか そしてまたたたんかたたん各駅停車


最初の歌に出てくる「あばら」の語は、この歌集でわりと多用されている語なのですが、アダムのあばらを折って女性が作られたとする聖書のエピソードを彷彿とさせます。佐藤さんは関西学院大の出身で、私の何級か上の先輩にあたるので、どこかにそういうミッションスクール特有の感覚があるのかもしれません。「幼い妖精を燃やす市あり」の歌からは、画家の小沢さかえさんの絵を連想しました。小沢さんは国立国際美術館「絵画の庭」で注目を浴びた新進の画家で、私はこの人の絵がすごく好きです。

http://www.andart.jp/artist/ozawa_sakae/

「ひとのためわが骨盤を」、「花器となる春昼後刻」、「もう声が出ない」の三首は非常にエロティックですが、こうした激しいエロティシズムとは逆に「ひらいたら」の歌は非常にほっこりさせられますね。目で見るとちょっと読みにくいのですが、是非口ずさんでみてください。非常に気持ち良いリズムの歌で、でも誰も乗り降りしない、ほぼ無人の各停電車の静けさが伝わってきます。

「逗留記」

黄金の五臓のごとくろうそくが燃えるここにも小さき母たち

首のない人のあまた歩みいて中世期より続く回廊

聖人と悪魔いずれの スーヴェニア・ショップにならぶされこうべたち


2001年にシャルトル大聖堂に行かれた折のスケッチ。シャルトル大聖堂は有名なゴシック式の大伽藍で、歌にもやはりどこかゴシックな感じが漂っていますね。ゴス好きの私は無条件にこういうのは好きです。

「パレード・この世を行くものたち」

わたしいついびつな星をのんだろう冬の脇腹わずかに熱い

満月に聞かれぬように路地裏を鈴のひとつぶにぎりしめゆく

手ぶくろをはずすとはがき冷えていてどこかにあるはずの薄い街


最後の一首はいわばタイトルチューンですが、この「薄い街」という言葉は、稲垣足穂のテクストから採られています。足穂はデュシャンの残したアンフラマンスの概念を知っていたのでしょうか? 非常に興味深いコインシデンスですね。本書にはこのほか、弱冠25歳で夭折した昭和の女性モダニズム詩人、左川ちかについての詩論も収録されています。表紙、見返し写真は、清水真理さんの人形写真も手がけた田中流(たなか・ながれ)さん。目には見えない「薄い街」の世界を切り取る、やわらかな緊迫感に溢れた一冊。2800円、どうぞお求めを。