二人称小説のこと
昨日は「ぷよぷよ」などのゲームで知られるゲームデザイナーの米光一成さんと、文筆家の千野帽子さんのトークにお邪魔した。文藝関係の集まりにお邪魔したのは久しぶり。人称と語り手をめぐる話だったけど、美術に応用したらどうなるか考えながら聞いてたらすごく面白かった。
この日のトークのタイトルは「『あなた』は小説にどう機能するのか」。小説には主に一人称で書かれたものと三人称で描かれたものがあるけど、まれに二人称、つまり「あなた」を主語にした小説がある。たとえば最近だったら藤野可織さんの『爪と目』がそうだが、実はぽつぽつ存在してて、マイナーではあるが一つの流れになってるらしい。昨日のトークで紹介されたのは概ね以下の通り。
ミシェル・ビュトール『心変わり』
イタロ・カルヴィーノ『冬の夜ひとりの旅人が』
倉橋由美子『暗い旅』
多和田葉子『容疑者の夜行列車』
筒井康隆「読者罵倒」
ペーター・ハントケ「観客罵倒」(戯曲)
このほかゲームブックなど
……ほかにもいっぱい出てきたけど、残念ながら忘れてしまった。個人的にはマルグリット・デュラスの幾つかの小説、たとえば『死の病い』で、私ははじめて二人称小説というものがこの世にあることを知った。あと、観客罵倒系の小説だと、ルイ・アラゴンの『イレーヌ』冒頭は、いちおう一人称で書かれてはいるものの、読者に直接向けられた果てしない罵言の連続で、この系統に入れていいような気がする。
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昨日の話は「二人称小説というのはそもそもあり得るか」という話。二人称小説は地の文の多くが「あなた」を主語にしているけど、実は語り手が「あなた」とは別に存在している、つまり実質は一人称であったり三人称だったりする小説がほとんどだ、ということだった。たとえば藤野さんの小説の場合、やたら「あなた」が連発されてはいるのだけれど、「あなた」に対して呼びかけている語り手は、実は「あなた」の養女であることが、数ページ読むうちにわかってしまう。つまりこの小説の場合、いっけん二人称小説に見えるしそう評されてもいるけれど、実は一人称小説なのだ。
さて、実は三人称の小説には、二種類の語り手がいる。一つは作中世界のことを何でも知ってる「神の視点」を持った語り手。落語の語り手を想像してもらえば良いけど、この種の語り手はいくらでも登場人物の内面にバンバン踏み込んでくるし、急に前面に出てきて話の成り行きにツッコミを入れたり期待を煽ったりする「饒舌な語り手」である場合が多い。トルストイが典型らしいんだけど、芥川龍之介とか江戸川乱歩とか、司馬遼太郎さんなんかもそうだ。下手をすると登場人物が気づいていない自分の嫌な面とかも、この種の語り手はずばずば突いて来たりする。神様なんだからしょうがない。
もう一つは作品世界の主人公に近い部分に視点が据えてはあるけれど、登場時人物の内面には踏み込まず、カメラのように外面的に記述していく語り手。「神様がひょいひょい作中世界に顔出して喋るのって変でしょ」という理屈でこうなったらしいのだけれど、この種の語り手は全面にしゃしゃり出てくることはない。映画のなかにカメラマンや監督が出てこないのと同じなのだが、驚いたことにこの種の「カメラ的語り手」は、映画の登場以前に生まれているらしい。フローベール以降の近代的な小説だと、いちおうこのルールが主流になっている。エンタメ文脈の三人称小説は、概ねこのルールに則って書かれている。
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最先端の文学の現場では、こうした近代的な語りのルールを破るような、さまざまな語り手が登場している。筒井康隆さんや奥泉光さんの描く、饒舌な語り手はその典型。近代的なルールに縛られた語りばかりでなく、もっと多彩な語りを楽しんで良いんじゃないか。……なんてのが、昨日のトークの大まかな内容。こういう「神の視点」か「カメラのような視点」かという二種類の区別を頭に置いて藤野さんの作品を眺め直すと、面白いことがわかってくる。
この作品は「あなた」を主語にしながら実は一人称で描かれているばかりではなく、作中に一人称で登場する「私」が、本来知り得ないはずの、ほかの登場人物の情報や内面を全て知っている。つまりこの「私」は作品世界の一部に過ぎないはずなのに、全能の「神の視点」を持つ語り手でもあるのだ。戦後に登場した比較的新しい手法である二人称小説の態を取りながら、実はトルストイ以前の大時代的な「神の視点」を持つという語りの二重性、ここに藤野さんの作品の持つ気持ち悪さ、そして面白さがある。つまり「語り」の手法において、新しい視座を提起できたのが、今回の藤野さんの受賞の理由だったというわけで。
この話を美術と対応させた場合の考えについてはまた後日まとめる、かも(余力があれば)。小説ってのもなかなか面白い。