表現者蹶起集会2010とサブカルチャー

私はいま、京都造形芸術大のASP学科というところで、サブカルチャーとハイアートについてレクチャーを行っています。そこで図らずもわかってきたのは、学生の多くがいわゆるアートよりもむしろサブカルチャーに興味が強いということでした。彼らのほとんどがオタクであり、マンガやアニメが大好きで、ギャラリーよりもマンガ喫茶の方に慣れ親しんでいる。ある意味これは当然で、彼らの多くは実技試験、要するに「絵が巧いか否か」で大学を受験して入学してきたわけで、ハイアートの文脈に通暁しているか否かとはまったく無関係に入学しているわけです。

かつて日本のハイアートは、サブカルチャーとの融合を図らねばならない、いや、もう既にサブカルチャーとハイアートの間には垣根などないのだということを、盛んに言い立て、実践してきました。浅田彰さんしかり椹木野衣さんしかり村上隆さんしかり会田誠さんしかりChim↑Pomしかり。いっけん、いまやサブカルチャーとハイアートは完全に融合し、分ち難いものになっているように見えてしまいます。

ところが多くの美術雑誌やギャラリストの間では、ここ数年で「原点回帰」ともいうべき現象が起こっていて、ハイアートをきちんと売っていこう、という流れが強くなっています。サブカルチャーの要素を作品に取り入れるまでは良いけれども、ビジネスのあり方としては伝統的でグローバルスタンダードなやり方、つまり裕福なコレクターにきちんとプレゼンして、なるだけ高値で作品を売るのを是とする、という方向性です。そこでは大衆が小額ずつを出してアーティストを支持、支援するというサブカルチャーならではの方法は、どちらかといえば忌避される方向にあるとさえ言えます。

こうした結果、サブカルチャーとハイアートの間には、再び大きな亀裂、分断が生まれているように思います。実際、こうして美大生と接してみると、もはやサブカルチャーの方が彼らの価値観の中では優位に立っており、ハイアートに関する興味や知識は、そのなかでごく一部を占めるに過ぎない。

今日、日本の現代美術が以前に比べればそれなりに大衆に支持されるようになってきたのは、サブカルチャーからの栄養分を吸収してきたことによると思います。が、しかし、このまま行けばハイアートは再びサブカルチャーから遊離し、大衆の支持を失い、あるいはサブカルチャーに圧倒されて行き場を失うでしょう。ハイアートが今後もそれなりに生き残ろうと思えば、サブカルチャーとの接点を常に維持し、回復し、メンテナンスし、再接続する不断の営みが必要になるはずです。

ハイアートとサブカルチャーを架橋しようとする試みの中で、私が近年注目するのは、ネット上におけるカオス*ラウンジの動き、そして大阪におけるトラリープロジェクトと、彼らの運営するイベント「表現者蹶起集会」の動きです。前者のカオス*ラウンジについては、村上隆東浩紀といったビッグネームが支援者となり、黒瀬陽平という俊英が理論的指導者として参加しているので、わたしがあれこれここで注釈を加える必要はないでしょう。問題はトラリープロジェクトです。

正直トラリープロジェクトは、カオス*ラウンジのような洗練はまったく持ち合わせていませんし、理論的なバックグラウンドもありません。会場には作家名も作品名も記されないまま、粗大ゴミと間違いかねない作品が無造作に放置され、異なる作家の作品が互いに混ざり合って干渉し、ぐちゃぐちゃになっています。だいいち会場はギャラリーでもなんでもなく、大阪ミナミは宗右衛門町という歓楽街の雑居ビルの一角なのです。こんな無秩序で混沌として猥雑な展覧会を、私はかつて見たことがありません。でも、そこに大きな可能性を感じるのです。


久恒亜由美の作品。久恒は文化服装学院卒で、もともとは服飾が専門。ロックバンド、あふりらんぽの衣装も手がける、まさに異分野からの闖入者。


これも久恒亜由美の作品。なんだこれは、洗濯物か!
http://www.hisatsuneayumi.com/


岸本雅樹の作品。今回はちょっと大人しかったかな。岸本は京都造形芸術大卒、その破壊力のほどは彼のサイトをご覧あれ。
http://www.kishimotomasaki.com/


岡本奈香子の作品。頭蓋に電流を流しながらドローイングを行い、通常のドローイングと比較するための実験装置。当人曰く「何も変わらんな」と呟きながら描いていたらしい。

彼らの無謀とさえ言える振る舞いや行動は、かつてダンスの世界にBaby-Qが登場してきたときの、淫猥で危険で破滅的な雰囲気、客層の異様さ、熱っぽさを連想させます。彼らの行動が単なる思いつきと無計画さの所産となって終わるのか、それともアートの世界に何かを起こすのか、明らかになるのはこれから。カオス*ラウンジもトラリー・プロジェクトも、どうやってこういう表現を商売にするかというところに、実は勝負がかかってる気がします。現在の商業ギャラリーと同じ方法なら、単に「新人現る」で終わってしまう。新しいビジネスの構造自体を作れるかどうかが剣が峰になるのでしょうね。

ちなみに本展の出品者には、死体写真家の釣崎清隆や、南船場の「赤い人」こと浜崎健も。願わくば、これが単なる序曲となり、より大きな破壊と創造が訪れんことを。心から健闘を祈っています。

表現者蹶起集会2010
5/21-5.28 エーデルプラッツェビル
(サイトには21、22日とありますが、展示は28日までです。)
http://h-kekki-s.hp.infoseek.co.jp/index.html

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その後、主催者の小灘精一さんよりメールがあり、上記文意に若干の訂正があるとのこと。そのままメールの内容をここに転記しておきます。

「一つだけ訂正と云うかお願いがあります。/ブログで主催がTORARY PROJECTとなっていましたが厳密には僕、小灘精一の主催です。/そして刺青師でアーティストの藤本修羅さんと、僕とクーデターズhttp://blog.aac.pref.aichi.jp/aac/2009/09/000181.htmlのユニットでメンバーの/ミュージシャン、森昇平君と連日ミーティングを重ねて作り上げてきたイベントです。/僕自身がToraryの主催者なので間違いではないのですが、藤本修羅さんや森昇平君達のネットワークの賜物で出来たイベントです。/ですのでtorary主催の方が説明しやすいとは思いますが、修羅さんや森君も少し主催者側として触れてもらえると嬉しいです。」