永遠と消滅

 国立国際での草間展、三回目見てきました。やっぱりいろいろ思うこと多し。常設の方に昔のソフトスカルプチャーが置いてあるんですが、その頃のドロドロした表現と、今のある意味で天真爛漫とした表現の落差にしみじみと思いを馳せたり、ジョゼフ・コーネルとの間の愛の行方のことを思ったり、ちょっとウエットな見方をしてました。


 それと今日は、やはり常設で置いてある、ウテ・リンドナーという人の作品がすごく気になりました。《露出時間》というタイトルで、フェルトの上に物を置いて日光に曝しただけの作品。タンスの下のタタミの色が青いまんまなのと同じ原理ですね。これ、展示すればするほど少しずつ露光していくので、最終的にはいつか消えてなくなるはずなんですよね。そうなったときに修復はどうするんだろうとか、つい考えちゃう。当然、収蔵のときに写真は撮ってあるんだろうけど、その時点の状態に戻すのかな、とか。でもそれって変だよな、作品のコンセプト台無しだよな、とか。


 ウテ・リンドナーさんの作品は、ご本人のサイトにあるのでここにリンクを貼っておきます。90年代の中頃に集中して取り組んでたシリーズみたいですね。赤いカーペットみたいなのが所々変色してるのですが、ご覧になれますでしょうか?

「露出時間」のシリーズ
http://www.bit.ly/y8yPxM


その他の作品
http://www.ute-lindner.de/works.html


 それにしてもこの作品、幾度かこれまでにも見てると思うんですが、何でいま気になるんでしょうね。なんか「時間」みたいなことが気になってるのかな。草間さんが「永遠の永遠の永遠」をやってて、同じ会場にいつか消え去る運命の《露出》が置いてあるという、対照的な構図があるから気になってるのかもしれません。でも、どっちも美術の運命なんですよね。永遠を必死で追い求めるが、いつか必ず崩れ去るという……。


 宮永愛子さんのナフタリンでできた靴の作品とか、西山美なコさんの砂糖でできたティアラとか、消えていく作品って他にもちょくちょくあるのだけれど、ウテ・リンドナーの作品の場合、光で生まれて光で消えていくっていうところが、きっと気になるんでしょうね。光に当てない、つまりは見ない限りは半永久的に残るが、見ると消えていってしまう。「見ると消える」という、いわゆる物理学の「観測問題」にも似た背理が、とてもシンプルに示されていますね。美術の宿命がとてもクールに、ここには集約されてる感じがします。


宮永愛子さんの作品
http://mizuma-art.co.jp/new/1271226546.php


西山美なコさんの作品
http://www.kanazawa21.jp/collection06/artist/nishiyama.html