「what we see 夢か、現か、幻か」

 現在、国立国際美術館で開催中の「what we see 夢か、現か、幻か」、映像作品ばかりでまとめたグループ展なのですが、全体に政治性というか、メッセージ色の強い作品が多いな、と感じました。中でも印象に残ったのはパリ生まれ、ベルリン在住の作家、シプリアン・ガイヤールの作品。下記にダイジェストを貼っておきますが、本物はもっと尺が長いです。


http://vimeo.com/30270367


 ブレやルドゥーのようなフランス大革命期の建築を彷彿とさせるウルトラモダンな建物と、イラクの古代都市、バビロンの遺跡が混じりあう映像。バビロンというのはイラクのバグダットの近くにあった古代都市で、撮影してるのがイラクだけに、警備中の米軍の姿が全編にわたって映っています。イラクではないけど、まさにアルジェリアで大変な騒ぎが起こっている最中にこういう作品と出くわしてしまう不思議さ。私がいつも美術と接していて感じる、時間というものの不思議さを、今回も感じることになりました。


 311の直後にも、島袋道浩さんが神戸の震災をテーマに作った作品《人間性回復のチャンス》と出くわしましたが、今回感じた感覚はそのときの感覚に似ています。この作品は実際に神戸の震災で被災した家の屋根の上に「人間性回復のチャンス」と大書した看板を掲げた作品で、実際にこの看板はかなりの長期にわたって電車から見えるように設置され、賛否両論が起きました。確か当時の新聞には、文化欄でなく社会面で報道された記憶があります。現在はさすがに撤去されているのですが、現在もその記録写真が作品として残っており、しかもその日付が「1995.3.11」なのです(この作品は現在東京都現代美術館のコレクションに収まっており、現在展示中です)。


 それともう一つ、ガイヤールの作品には仕掛けがあって、この作品はもともとiPhone で撮った映像なのですが、それをわざわざアナログ35ミリのフィルムに移し替えて上映が行われています。 いまや絶滅寸前のメディアにデジタル映像を複写するという矛盾した行為、しかもそこに映っているのはウルトラモダンな建築と古代の廃墟のモンタージュ映像。そこには「未来の廃墟」のような感じが漂っています。そういう意味では万博の廃墟をテーマにして作品を作り続ける、日本のヤノベケンジさんに近いものがあるかもしれません。


========================================


 このほか会場には、東南アジアから来た移民の見た夢をインタビューした台湾の饒加恩(ジャオ・チアエン)の作品や、仕事を失ったネーム入り刺繍の職人を追った韓国のチョン・ソジョンの作品など、なかばドキュメンタリー映像といっても過言ではない作品も多かったです。以前にも国立国際では2008年に「液晶絵画」という映像作品の特別展を開いていますが、それと比較すると明らかに作品の尺が長く、美術と映像の境界はほぼなくなっているなと感じました。


 で、そんな国立国際を出たら、関西電力前で恒例の金曜デモをやっていました。この日は凍てつくような寒さだったのですが、それでも数十名の人が集会に集っていました。いろんな意味で政治の季節なんだなあと思わざるを得ないシチュエーションで見た展示で、国立国際に竹内公太君の「指差し男」があったらよかったのに、とつくづく思いました。竹内君は国公立の施設で扱うにはスキャンダラスすぎる作家なのかもしれませんが、是非どこかでトライして欲しいし、彼はそれだけの価値のある作家だと思います。


「指差し男は竹内公太か?」
http://d.hatena.ne.jp/higuchi1967/20111226/1324895248


========================================


 さて、そんな政治色の濃い展覧会であるだけに、逆に完全な内面世界を描いた、さわひらきさんの作品が強く印象に残る展覧会でもありました。今回展示された作品は、渦と波、回転と振動をキーワードにしながら、連想ゲームのようにイメージが展開していく作品。社会的なメッセージは一切なく、自己の中に沈潜していくようなイメージが、ほかの作品と際立った対象を見せていました。


 なお、先に述べた通り本展の出品作は大変尺が長く、私も2時間半ほど会場にいましたが全てを見ることはできませんでした。ご覧になる方は丸一日潰すつもりでご来場されるのが吉かと思います。私も会期中にもう一度会場に行ければ良いのですが!

「what we see 夢か、現か、幻か」
国立国際美術館(大阪)、3月24日まで
http://www.nmao.go.jp/exhibition/index.html