まだらの美術史

 昨日ちょっと気がついたことをメモとして。実は最近、ちょっと「具体美術協会」について考えることがあって、そういうえば椹木野衣さんはどう書いてたかなと思い『日本・現代・美術』を久々に読んだんですよ。で、驚いたのはほとんど何も書いてない。「具体」という固有名詞はところどころに出てくるんだけど、作家論、作品論がないんです。あれっ!? と思った。昔読んだときは全然そんなこと気づいてなかったな。論旨の鮮やかさに目を奪われるばかりで。


 もっとも、これ全然批判的に言ってるんじゃないんですよ。そもそもこの本は帯文に「反=日本現代美術史」と赤字の太ゴで書いてあって、日本現代美術の通史のように見えて、実は全然そうじゃない。その意味で柄谷行人さんの『日本近代文学の起源』と非常によく似ている。ただ、改めていま振り返ると、やっぱり作家論、作品論としてこの本の中に具体が出てこなかったってのは、具体にとって痛かったなあ、と思うんですよね。


 具体ってホント不遇なムーブメントで、出てきた当時はほぼスルー、70年代になってやっと評価されだす。で、千葉成夫さんの通史に具体が取り上げられるのが80年代になってから。ここではかなり高く評価されている(ただしタブロー回帰後の具体についてはあまり高く評価されていないけれど)。で、90年代の椹木さんの本になると、またそこからは具体がほぼ消える。関西にずっと住んでると、具体の先生方ってメチャクチャお元気なので、こういう状況ってすごく違和感感じるんですよね。私の場合は若い頃、そのあまりの強烈な存在感にひるんでたくらいでした。嶋本昭三さんとか大名行列みたいにお弟子さん連れて歩いてらしたですし。


 いまでもそうなんですが、私の中では50〜70年代の具体の次はいきなり80年代ニューウェーブにつながってる。事実としてそうだ、というんじゃないですよ。あくまで体感の話。「もの派」については後追いでわかってきたけど、70年代の状況が今ひとつ体感として入ってない。なんかそのへんの自分の認知の歪みを一度、集中的に治療したいなと思いながら、ズルズル目の前の仕事に追われ、ほったらかしたまま今に至ることへの反省しきり。いっぺん年表だけでも自分用に作りたいなあ。しかし、一体いつの話になるやら……。