美術は「反富裕」たりえるか? ——美術は貧困層の敵か味方か

雨宮処凛 @karin_amamiya · 4月27日
今年の「自由と生存のメーデー」、熱くなりそう!
「反貧困」ではなく「反富裕」!


 作家の雨宮処凛さんが、ツイッター上で「反富裕」をテーマに掲げておられるのをお見かけしました。それにふと触発されて、私のいる美術の世界で「反富裕」がスローガンになり得るか、ということを考えてみました。というのも原則的には美術って、富裕層の方々がいらっしゃらないと成り立たないジャンルなんですね。なぜなら美術作品っていうのは、文学みたいに紙と鉛筆があればどうにかなる、という性質のものではない。どうしたって制作の段階で既におカネがかかるものなんです。


 しかも美術って文学やなんかと違って現物主義ですから、どんな素晴らしい名画であっても、複製品では意味がないんですね。文学作品だったら印刷物だけを所有してればいいわけですが、美術は一点ものが尊ばれる世界なので、どうしても高価になっちゃうわけです。したがって、ほうっておけば美術作品は富裕層に囲い込まれて、私みたいな貧乏人は、美しいものに触れることなく生涯を終えてしまうことになるわけです。悲しいですよね。


 それじゃあ、どうして私みたいなおカネのない人間が評論家ヅラをできているかというと、一つにはギャラリーという作品売買の場所があって、ここで本屋の立ち読みのように、美術作品の「立ち見」をさせてもらえるからです。ギャラリーというのはいくら見てもタダなので、これは本当に有り難いわけですね。そしてもう一つは美術館というものがあって、本来なら富裕層の特権的な所有物になってしまうはずの美術作品を、税金で買い戻して見せてくださるからです。これは私みたいな人間には本当に有り難い仕組みでして、つまり美術館というのは本来的には、貧しい人の味方なんですね。ただし。

国見協一 @kyoichizax · 49 分
一時的に貸してもらってるものも多いけどなww RT


 上に引いた方のご意見はもっともで、美術館に展示してある作品のコレクションは、館がおカネを出して買った館蔵品ばかりではありません。コレクションの多くは寄託品、つまり富裕層のコレクターの方々が自らのおカネで購入して、一時的に美術館に貸しているものなんですね。特別展の場合にも、富裕層の方々が所蔵する個人所有の作品を、お借りして展示することがしばしばある。結局のところ美術館の運営には、富裕層の方々の協力が不可欠なんですね。


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 また、どれだけ美術館が旺盛に作品を買い上げたとしても、それだけでは作家の生活は成り立ちません。富裕なコレクターの皆さんが普段から作品を買い上げてくださるからこそ、美術作家は生活していくことができてるわけですね。その意味で「反富裕」が美術界のキーワードになることは、ちょっと難しいのかもしれません。ただし美術館という場所は、放っておけば富裕層に囲い込まれてしまうはずの美術を、貧困層にも解放する場でもある。これもまた紛れもない事実なんですね。つまり美術館とは階級闘争の場ではないけれども、少なくとも階級対立の緩和には役立つわけです。


佐々木中 @AtaruSasaki · 7 時間
真の豊かさとは「この世界の豊穣さを多くの人と『分け合う』」ということだ。シェアすることは歓びを増す。美味や美観や良い音楽や藝術、知的遺産と巡り合ったときに、可能なら一人ではなく誰かと一緒に味わいたいと思うのが自然だ、と私は思う。それが実は「反貧困」ということではないのか。


 上に引用したのは思想家、作家の佐々木中さんが、私の一連のツイートとほぼ同時につぶやかれたもので、直接私のツイートに応答したものではありません。ですが、この言葉は見事にこの件に関する応答になっています。美術館とは佐々木さんの言葉をお借りするなら「この世界の豊穣さを多くの人と『分け合う』」場所だということになるでしょう。それは「反富裕」の場所ではないが、「反貧困」の拠点の一つにはなりうる、というわけです。


 ただし一部の政治家や論客のなかには、こうした事情をあまりよく考えないで、美術館をやたら敵視したり贅沢品だと断じたりする人が、決して少なくありません。もし美術館がなくなったら、美しいものは富裕層だけの個人コレクションになってしまい、貧困層は美に対して無知なままで生涯を終えなくてはならなくなります。美術館は税金の無駄遣いどころか、実際には「反貧困」の拠点の一つになりうるというのに、そこがご理解いただけないんですね。これは悲しいし残念なことです。


 もちろん美術館や美術の世界が本格的に「反貧困」の場所になろうと思えば、クリアしなければならない課題はたくさん出てくるかもしれません。たとえば入場料なんかはもうちょっと値下げして欲しいなあと、個人的には常々思っています(台所事情が厳しいのは重々承知。むしろ美術館の中の人の方が、もっと切実に願っていることかもしれませんね)。


 ともあれここでの結論は、美術館は「反富裕」の場所にはなり得ないけれども「反貧困」の場所にはなり得るということでした。美がもっと多くの方々のものになり、美を通じて貧困が解消に近づくことを、切に願ってやみません。終わり。