三宅砂織、解体的具象性とルール主義

昨年のアートフェア東京で全点完売、VOCA賞2010受賞、写真を使ったドローイング「フォトグラム」で注目の新人、三宅砂織さんにインタビューしました。

http://bit.ly/b59Bqq

彼女は私の勤める専門学校の同僚でもあって、そんなご縁からの取材になったのですが、作品を見るうち、また話しを伺ううちに、近年の絵画で非常に重要になっている「具象性」をめぐる、非常に重要なポイントを示す作家だと考えるようになりました。詳しくは本文を見ていただきたいのですが、彼女が属する世代の京都市立芸大の平面作家たちは、いずれも具象的傾向を示しながらも、それが何かほどけていくかのような、非常に緩やかで曖昧な解体性を示しています。そして三宅さんもまた、こうした曖昧な解体的具象の作家の一人なのです。

こうした70年代生まれの「解体的具象性」を特徴とする作家には、たとえば伊藤存さんや青木陵子さん、栗田咲子さんといった作家がいますが、このうち青木さんと栗田さんは、現在、国立国際美術館で開催中の「絵画の庭」展に出品中で、こうした傾向が一つの見逃せない世代的特徴になっていることを裏付けています。そこで、こうした曖昧な解体は何を意味するのか、インタビューではそこを伺っています。もちろん、作家によってその意味するところやニュアンスはそれぞれ異なるのでしょうが、この世代が共通して示す「解体的具象性」の謎に、少しだけ迫った取材になったと思っています。

また、もう一つこのインタビューで見逃せない言葉として「当時私は『すべてのイメージを線で表現する』というルールを決めて描いていた」という言葉があります。このブログを続けてお読みの方ならお気づきになるかと思いますが、またしても「ルール」です。既に幾度か触れていますが、近年の作家たちからは、実に幾度となくこの「ルール」という言葉を聞きます。坂本夏子、森本絵利、そして今回の三宅砂織です。ここにはもはや見逃すことのできない、ある世代的なコインシデンスがあるように思います。また、このことは広島現代美術館で開催中の「一人快芸術」のコンセプトとも響きあう何かを持っている、と思います。

坂本夏子 http://d.hatena.ne.jp/higuchi1967/20100116
一人快芸術 http://d.hatena.ne.jp/higuchi1967/20091201
森本絵利 http://d.hatena.ne.jp/higuchi1967/20091113

この不思議な「ルール主義」については、改めてどこかでまとめて書きたいと思っています。いずれにせよ、非常に興味深い現象だと思っています。