高原英理「遍歩する二人」『群像』10月号
高原英理さんの新作短編「遍歩する二人」が、『群像』の10月号に掲載されています。「遍歩」は「へんぽ」と読んで散歩のことを意味する作中の造語で、夜の町をあてどなく散歩する二人を描いた作品です。なんで散歩でなく遍歩というのか、というのは、実際に作品をご覧頂きたいのですが。
『群像』10月号
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夜の散歩と言えば、熱心な高原読者であれば直ちに、短編「グレー・グレー」(『抒情的恐怖群』所収)を連想されることかと思います。一度死んだはずの死者が、遺体が腐り果てるまで生き続けるという奇妙な世界で、なかばゾンビと化しつつある彼女を連れて、夜の町を散歩する、という短編ですね。
『抒情的恐怖群』
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ですが今回の作品には、ゾンビのようなわかりやすい怪物は出てきませんし、ゾンビが襲撃してくることもありません。そのかわり、ごく日常的な怪異だけが町の中に点在し、怪から怪へ経巡るように、二人が遍歩していきます。それは何か決定的な破滅をもたらすものではありませんし、そもそも本当に怪異と呼びうるかどうかも曖昧で、夜の町の中に薄ぼんやりとたたずんでいます。ちょっと内田百けん(門構えに月)の書く怪異譚に似ていますね。
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なので、いつか世界がゾンビの群れに飲み込まれて、終末に向かうのではないかなどといった破滅への予感も、ここには漂っているわけではありません。いわばセカイ系から世界の破滅を取り去ったような世界観、とでも言えば良いのでしょうか。ただ曖昧で茫漠とした衰退の感覚、崩落の感覚があります。
世界の破滅という大文字の危機に替わって、ここで背景を覆っているのは、きわめて個人的な登場人物の危機的状況です。作中、この人物が経験しつつある個人的危機は、作品世界を彩る幻想的な色彩を完全に吹き飛ばしかねないほど、どうしようもなく即物的で現実的な危機です。
このきわめて現実的な危機が、幻想的な道行きの中に、ひょいひょいと幾度も顔を出す。この意外な転調に、この作品の面白さはあります。現実の恐怖と幻想的な恐怖のこのつづれ織りには、いろいろ考えさせられることが多いのですが、これはまた機会があれば、どこか別のところに書いてみたい気がします。そんなわけで今回はここまで。面白い作品です。