「311以降」について

 今朝方「311以降」という言葉を使ったら、ちょっと抵抗や違和感を覚えた方がいらしたようだったので、以下その件について。


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 事実上の問題として、311以降の状況に対応した実にさまざまな表現が、音楽や美術、その他の分野で立ち上がっている。たとえば一方ではそれは自主規制という形で現れ、あるいは「がんばれニッポン」という合い言葉で現れ、あるいはデモなどの形で現れている。美術の分野なら島袋道浩さんの旧作の展示に始まり、チンポム、椿昇さん、水面下で進行しているヤノベケンジさんの試みなど多数の試みがある。これを「311以降の表現」と呼ぶのが嫌だという気持ちは何となくわかるのだけれど、ほかにどう呼べば良いのかよくわからない。


 私たちは「戦後」とか「戦後美術」とか「戦後文学」といった言葉を何気なく使ってしまうけど、そのときそうした言葉で括られた人々の気持ちや戸惑いを想像することは、いまとなってはかなり難しい。あるキーワードや時代区分で文化を括ることが孕む暴力性と、括ることでしか見えない何のものかとのバランスをどう取るか。それはいわば永遠の問いであって、たぶん正解はないのだと思う。自分や誰かの表現を「311以降」というキーワードに括られたくないという思いは自分の中にも少しあって、実際この言葉を書き付けるとき幾分かの抵抗を感じるのもまた事実。にもかかわらず「311以降」としか呼びようのない表現が既にいくつも出てきていて、そこから自分は目を逸らすことができないでいる。


 「戦後」っていう時間が一定の長さを持っていたのと同じように、311以降の状況はいまも続いている。というか、いつになったら終わるのかもよくわからない。あまり考えたくはないけれど、もしかすると永遠に終わらないのかもしれない。そういう意味では「戦中」のアナロジーを用いた方が、いまの状況には近いのかもしれない。「戦後」っていう時代が解放感とともに訪れたのと反対に、「311以降」っていう時代は絶望とともにやってきた。自分のなかにある「311以降」への拒否の感情は、たぶんそのへんに理由があるんだと思う。誰だって嫌だよね、こんな時代。でも何か考えなきゃいけない。


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 ここでチンポムの件に少し話を絞ると、とりあえず扱いとしては書類送検で済んだようで、まずはほっとしている自分がいる。この件、チンポムの仕業と知った時は正直「いい加減にしろよ!」と思ったけど、あとで個展を見て本気で号泣した。法制度を外れた表現が法に従って裁かれることを支持する、しないということと、表現として支持する、しないということは自ずから別で、自分はそのメッセージに泣かされた。ブルーハーツとかサンボマスターの歌を思い出した。本当にまっすぐな表現だった。


 岡本太郎記念館の平野暁臣館長は、早くからチンポムの一件を「決して褒められた話ではないが、核と人類をテーマにした「明日の神話」がいま、その存在感を増していることを感じさせる」と、留保付きながら評価していた。いっぽう《明日の神話》の展示と維持管理を行う「明日の神話保全継承機構」の担当者は、「とんでもないいたずらで迷惑している。多くの方が苦しんでいる中で(原発問題と)結びつけられるのは困る」との談話を出した。どちらかが間違いというよりも、これは双方の立場を考えれば、双方とも当然の反応をしたのだと私は思う。

岡本太郎さん壁画、改変容疑 芸術家3人、書類送検へ(毎日) 」http://bit.ly/kKS3m6
平野暁臣館長のコメント https://bitly.com/lrFBMR
明日の神話保全継承機構」の担当者談話 https://bitly.com/jUvqHv


 この件は作品保全の観点からは喜ばしい話ではないし、いちおう法に触れる行為でもあるので、その部分の責めは負わなくちゃいけない。美術関係者のなかにも激怒していた人がいらしたのは事実。ただし、そのメッセージをどう評価するかは全然別問題で、ともあれ自分は彼らの表現に泣いた。比喩的に、ではなく本当に泣いた。自分が泣いたのは《気合い百連発》という作品。実際に彼らが福島に行き、その場で知り合った漁師さんたちと「友だち」になり、ひっくり返った漁船の前で円陣を組み、気合いをひたすらかけ続けるというもの。会場で配布された音源を聞き、かなり恥ずかしい状態になった。


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 毎日の記事には広島の「ピカ」の件の記述もあるけど、その後彼らは広島被団協理事長の手になる「不撓不屈」の墨蹟を収めた作品《Never Give Up》を制作し、展覧会に出品している。このほかチンポムのメンバーは、ヤノベケンジさんの展覧会の設営現場を訪問し、その作業を手伝ったりなどしているという。ヤノベさんは放射能の問題を早くから作品化し、岡本太郎さんから多大な影響を受けたことでも知られる作家だ。もちろんヤノベさんの側も、彼らに対するエールは贈っている。チンポムの「理屈より行動ありき」の姿勢は危なっかしくはあるけど、やはり私は好感を抱くし、そうした人の輪は次第に広がり始めている。


 チンポムをどう評価するかということは、どこかでいまの状況をどう見るかという態度にもつながってくるはずだし、今回の書類送検に見られるように、その評価は一進一退が続くんだろうと思う。そうした話も含めつつ、日々の食の問題とか経済の問題とか、いろんな場面で311はいまも進行してて、事態は揺れ動いている。もちろんそれは表現の中にも影を落としてるし、これからも続いていく問題だと思ってる。無論311以降という言い方は、自分の中でも腑に落ちない部分はいっぱいあるのだけど。