「〈私〉の解体へ: 柏原えつとむの場合」とweb2.0時代

 終わった展覧会の話でなんですが、柏原えつとむさんの展覧会、ブログにちょこちょこと書いただけに終わったのには理由がありまして。あの展覧会のタイトルは「<私>の解体へ: 柏原えつとむの場合」となっていまして、要するに「主体」の概念への批判が根底にある。で、主体の解体、私の解体ということは一頃非常に盛んに叫ばれたポストモダン哲学の重要なモチーフなのですが、さて誰がどういう脈絡でいつ頃言い始めたかとなると、ちょっともう自分の手に負えない。要するに準備不足で、真正面から書くのは見送ったのでした。


 あの展覧会の出品作は60年代末から70年代にかけて制作されたものが中心だったわけですが、この時点で「主体の解体」を唱えるって異常に早くないか、と思っていたのですが、なにせ確証が持てない。70年代って文学の世界ではいわゆる「内向の世代」の時代で、マンガではつげ義春さんとかの時代で、音楽は四畳半フォークだった。要するに若者が社会に背を向けて、個人の内面に帰っていく時代だったと思うんです。その時代のしょっぱなにいきなり「私の解体」かと。とはいえ、まったくそういう発想が、当時の文化状況になかったかというと確証が持てない。それで黙ってたわけなんですが。


 「私の解体」というモチーフが一般化するのって80年代だと思うんですよ。柄谷行人さんが「日本近代文学の起源」を書いたり、島田雅彦さんみたいなポストモダン文学が出てきたり。音楽ではテクノポップが出て、ウジウジした内面をバッサリ削ぎ落とした表現が出てきた。こういう時代の雰囲気を念頭に置くと、まるまる10年早いんですよ、柏原さんたちのやったことって。当時の美術界って「もの派」全盛時代で、いわばフォーク全盛時代にテクノポップを一人でやってる状態。一体どういう風に受容されたんだろうと思う。でも、そこを書くにはリサーチ不足で。


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 それと、この展覧会について黙ってたもう一つの理由があって、それは「私の解体」というテーマをいま、どう評価したらいいかよくわからなかったからなんです。というのも、いま表現の現場って美術に限らず、web2.0とかSNSの世界と次第に融合しつつあって、そこではもう集合知的なモノの考え方とか情報伝達が当然のようになってる。つまり哲学的理念の問題でなく、現実的に「私の解体」が進んでる感じがするんですよね。


 たとえば展覧会の告知一つとっても、こうしたweb上のツールなしにはもはや成り立たないし、作品の評価もこうした場所でかなりの部分が行われるようになっている。で、誰のどの作品がいまいいのか、誰の評価が的確なのかとかいったジャッジは、権威ある美術雑誌の編集者がやるのでなく、サーチエンジンのランキングや「まとめサイト」での評価や「いいね!」の数で、集合知的に行われてしまっている。個人が本当に解体されつつある気がするわけですね。


 「web2.0のソリューションで最大公約数的な表現を割り出してコンテンツ自動生成しようぜ」みたいな発想が一般的になる時代は、ウカウカしてたらすぐ来ちゃうんじゃないかという恐怖感が私にはある。そういう時代って果たしてハッピーなのかどうか、私には今ひとつよくわからない。そうしたことを考えたとき「私の解体」っていうコンセプトは諸刃の剣みたいなところがあるような気がするんです。そのあたりの判断の難しさも、結局のところ柏原さんの展覧会について何も書けなかった理由の一つなんですね。……というところまで書いたところで、担当学芸員の橋本梓さんからこんなコメントが。

azusahashimoto ‏@azusa_hashimoto 柏原さんに添ったかたちで考えさせてもらいますと、とにかく近代的主体の在り方のある種の典型とも言うべき「作家」の概念に反発なさりたかったことは確かです。具体や読売アンパンの作家たちが目指していたような「オリジナリティ」神話を解体することです。当時のノートを読むと、柏原さんがポップアートに一定の共感を示していらしたことは、この点からもうなづけます。しかし作家としての主体性が極力作品の前面に出ないようにという振る舞いをなさっているにもかかわらず、膨大な手仕事によって柏原さんの手のあとが前に出て来たりするのも両義的でおもしろいところです。極論するならば、柏原さんは「私の解体」といい続けることで柏原えつとむという主体を強烈に印象づけてしまったとも言えます。


 語弊がありました。「私の解体」は本展のために柏原さんが考えた語です。当時柏原さんはいつ美術から身を引くかと考え続けていらしたそうで、その意味で柏原さんの振る舞いはweb2.0的なポジティヴともとれる解体とは異質なものと言えるかもしれません。長くなりすみませんでした。決定的な回答が用意できていなくて恐縮ですが、とりあえずの考えをまとめさせて頂きました。


 「主体の解体」「私の解体」というキーワードはあとづけかもしれませんが、非常にクリアにご自身の仕事を総括されたものだと思います。先行世代への反発とポップアートへの共感がそうした仕事を生んだという経緯には非常に納得できるものがあります。主体性への拒否が結局のところ制作する主体を印象づけてしまうという背理はウォーホルなどとも共通していますし、その後の多くのポストモダニストの仕事とも共通しているかもしれませんね。文芸批評の分野でインターテクスチュアリティーの概念が出てくるのが1966年だそうで、やはりこうした発想の芽は早くも60年代に芽生えていた、と見るのが妥当なのかもしれません。見えない部分での同時代性があった、とでもいいましょうか。


 ただ、私は現在こうした主体の解体という考え方が、必ずしもポジティブであるかどうかについては少々疑問を持っており、web2.0的な主体の解体についても決してポジティヴな面ばかりとは言いきれないと思っています。わかりやすい例で言うと、匿名掲示板が粗野な排外主義の温床になっていたり、「いいね!」かそうでないかという単純な二値判断が文化の粗雑化を招いたり、といった具合です。その意味で柏原さんが当時、美術から身を引こうと考えていたというのは非常に示唆的な事実ですし、興味深い話だと思っています。ひょっとするとそれはあまりにも先まで文化の行く末を見抜いたが故の逡巡だったのかもしれませんね。