雑感

@mizumaart アートを学びたいならアート以外の世界を知る事から始めろと言いたい。美大で学ぶアートなんて糞の役にも立たないものが多い。かりに学べても表現者としての羅針盤にはならない。 美術の周辺に居ても、そこからはもう新しい表現は出て来そうにない。 今の美術は資本主義の徒花だ。未来は無い。


 ギャラリストの三潴末雄さんのこのツイートが、美大関係者の反感を買っているようです。確かにかちんと来る気持ちはわかるのですが、一方で皆さん過剰反応のような気もします。というのも、自分も美大ではありませんが、学校で教える仕事はしてて、三潴さんと似たようなことをよく思うのです。知識とかテクニック的なことは教えられるけど、結局のところスピリッツとかマインドとかの部分は教えようがないし、むしろ教室の外で学ぶもんなんじゃないかと。


 実際、自分自身も学校にいた頃は劣等生で、あまり授業には魅力を感じなかったし、教授、助教授より非常勤の講師、それより学外の作家や批評家の方が魅力的に見えて、結局のところ学校に残るという選択はしなかった(だからダメな物書きなんだ、という説もあるが)。そういう「制度外」の知や美のあり方に惹かれるのって、そんなに悪いことじゃないと思うんだけどなあ。


 私は別に大学教育が無効だとか全然ダメだとか言ってるわけではないので、そこはお間違えなきよう。ただ、学校のなかで教えられることに満足しきってる人は、結局はそこで止まっちゃうんじゃないかということなんですよ。世の中は広いし面白いことはいっぱいあって、当然ながら学校より外の方が広い。


 誰だったか若い作家とこないだ話していて、結局のところ売れていく人って、学内でやいやい言われても気にしなかった人たちなんですよ、という話を聴いたんですよ。どこまでホントかわかんないけど、まあさもありなん、と私は思いました。これって別に学校に限らない話だと思うんですよ。たとえばビジネスとか政治の世界とかも、結構そういう話はあると思うんですね。往々にして異端児が世の中を変えていくもんだと思うんですけど、どうでしょうか。


 「現代美術」という枠でもほかの枠(ゴスとかオタとか会社とか)でもいいけど、小さく世界を区切ってその枠内で立身出世をセコセコ考えれば、そりゃある程度は成功するかもしんないけど、それって世の中にとってインパクトあるのかなあ、と思うんです。美術とはズレるけど、昔聞いて印象に残ったのが、演出家の蜷川幸雄さんの話。「自分は新作の公演を打つたび、次はどうやって新聞に載ろうと考えた。文化欄にじゃないですよ、社会面にどう載るかと」。学校のなかだけ見ててもそういう発想は出てきにくいんじゃないかな。


 三潴さんは業界内の風雲児的な方なので、ああいうやや攻撃的な表現になったのだと思うけど、要は「手近なとこばっかし見てセコセコすんな、世の中の大向こう相手に勝負しろ、大志を抱け」ということじゃないのかな。その意味において私はかの人に同感です。大きなとこ見て作品作って欲しいですね。